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		<title>松本文郎のブログ</title>
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		<description>紀行文をはじめ絵や音楽の話</description>
		<language>ja</language>
		<pubDate>Thu, 22 Jul 2010 17:55:33 +0900</pubDate>
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		<title>松本文郎のブログ</title>
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		<description>紀行文をはじめ絵や音楽の話</description>
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		<item>
			<title>アラブと私　イラク３千キロの旅（３３）</title>
			<link>http://blog.onekoreanews.net/nrn/79</link>
			<description>&lt;P&gt;&lt;FONT color=#333333 size=3 face=&quot;&#039;MS Mincho&#039;, Serif&quot;&gt;アラブと私　&lt;BR&gt;イラク３千キロの旅（３３）&lt;BR&gt;　&lt;BR&gt;　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　松　本　文　郎　&lt;BR&gt;&lt;BR&gt;　&lt;BR&gt;　ユーセフと一緒にボーラスを郵電省に訪問したとき、私が述べたのは、「日本人は無宗教と見られているようですが、敬虔に神仏に祈る日本人のこころは、キリスト教やイスラム教のような世界宗教の信者のそれと変わりはないでしょう」（１０）だったのだが、むしろ、アジア人の原初的な自然崇拝（アニミズム）の方が、既成の三大宗教の頑なさよりも、より純粋な宗教心のように思われる。&lt;BR&gt;&lt;BR&gt;　一神教の出現前の人類社会は、みんなアニミズムだったのである。いつの間にか、私たちの会話に聞き耳立てていたらしいユーセフが肯いている。&lt;BR&gt;「アッバース朝の宮廷料理でお聞ききしたいのですが、さぞかし贅を尽くしたものだったのでしょうね」&lt;BR&gt;「ええ、それはもう！　民びとから見ればびっくりするような料理ばかりですよ」&lt;BR&gt;「たとえば、どんなものでしょうか」&lt;BR&gt;「&amp;lt;シャルバート&amp;gt;というデザートひとつとっても、それはたいへんなシロモノです。材料はナツメヤシの一種と砂糖など一般的ですが、それをつくるために遠くの高山から雪を運んで作らせたそうです」&lt;BR&gt;「日本で三百年続いた徳川幕府の大奥、ハーレムの一種ですが、にも似たような話がありますよ。山岳地帯の城主が山の氷室に貯蔵していた氷塊を、将軍への暑中見舞いに苦労して運ばせました」&lt;BR&gt;「このシャルハードは、ラマダーン明けの喉の渇きを癒すのにぴったりです。ひょっとして、食事の後で出されるかもしれませんよ」&lt;BR&gt;　アハラムが微笑んだのは、そうですよということなのか……。&lt;BR&gt;　それにしても、アル・マアムーンというカリフは、開明君主の称号をもつだけあって、その合理主義的な統治の下で、「文明の移転」という事象が出現したのである。&lt;BR&gt;　つまり、ギリシャ文化とオリエント文化を融合したヘレニズム、イラン、インドなど先行した文明の文献をアラビア語に翻訳した「知恵の館（バイト・ル・ヒクマ）」を開設したのが、このカリフだった。&lt;BR&gt;「現代世界は、欧米の西洋近代がもたらした知見・技術で動かされていますが、それを可能にしたのは、人類の古典的な知恵をアラビア語を介して伝承したアル・マアムーンの先見の明ではないでしょうか」&lt;BR&gt;この偉業をなしたイスラム帝国最盛期の傑出した統治者カリフの血が、アラブとイラン相半ばするとは知らなかった。&lt;BR&gt;「私も不勉強でしたが、そうしたことが分かれば、アラブを産油国としてしか見ていない欧米人たちも、考えを変えなければなりませんね」&lt;BR&gt;&lt;BR&gt;　暗黒の中世の桎梏から解き放たれたルネッサンスは、イスラム世界の存在なくしてありえなかったのではないか。&lt;BR&gt;　西洋近代以前のイスラムは、学術、文化、産業、経済、社会、技術などの全分野で西洋に優り、その栄光の耀きはヨーロッパの人たちにはまぶしかったにちがいない。長い中世の抑圧に苦しんでいたヨーロッパ人の目に、イスラム世界の絢爛たる都市文明は、魅力と映るよりむしろ脅威を感じさせ、嫉妬させたのではないか。&lt;BR&gt;&lt;BR&gt;　ユダヤ教・キリスト教・イスラム教の聖地であるイエルサレムをセルジューク・トルコに占領され、キリスト教徒は十字軍を送り込んだが、（１２）で述べたように、法衣の下に鎧をつけて版図拡大を意図したのであって、純粋な聖地奪回の戦いではなかったとするのが、今日の歴史学では通説になってきた。&lt;BR&gt;　十字軍以来、ヨーロッパ人が抱いたイスラムへのコンプレックスの根は深く、ゆがんだイスラム観は強く残っているが、そのなかで、イスラムを正当に理解しようとした人たちもいた。&lt;BR&gt;　カトリック教徒のリルケ、ゲーテなどもイスラムに傾倒し、ヴィクトリア女王は「隠れイスラム教徒」の噂が立つほどだったという。&lt;BR&gt;&lt;/FONT&gt;&lt;/P&gt;
&lt;P&gt;&lt;FONT color=#333333 size=3 face=&quot;&#039;MS Mincho&#039;, Serif&quot;&gt;「知恵の館には、図書館・研究所・翻訳センターがあり、カリフ自身もよく訪れて、学者たちとの討論をリードしたそうです。優れた諸文明をアラビア語に翻訳・記録し、維持・融合しながら、自らのものにしていったのです」&lt;BR&gt;「イスラム文明とかアラビア文明と呼ばれているものですね」　&lt;BR&gt;「そうです。アッバース朝では、ムスリムによる非ムスリムの支配が原則でしたから、才能のある者は人種・宗教の別なく自由に活動できました。多くの百科全書派的な天才が輩出しました」&lt;BR&gt;&lt;BR&gt;　話に夢中で、テーブルの前菜も少し残っているし、アラックのお代わりはまだしていない。アハラムが気をきかして、、羊肉のパテと揚げたレンズ豆の「タブーラ」を皿にとってくれた。ホブズで掬って食べた「ホムス」のレンズ豆は、ゆっくり煮てミキサーにかけ、ごまペーストを加えてどろどろにしたと、アハラムから聞いていた。&lt;BR&gt;&lt;BR&gt;&lt;div class=&quot;imageblock left&quot; style=&quot;float: left; margin-right: 10px;&quot;&gt;&lt;img src=&quot;http://blog.onekoreanews.net/attach/14/1225075281.jpg&quot; alt=&quot;添付画像&quot; height=&quot;295&quot; width=&quot;240&quot; /&gt;&lt;/div&gt;&amp;nbsp;皿に取り分けてもらった「タブーラ」を味いながら、アラックのグラスを空けた。&lt;BR&gt;「私たち日本人も、朝食のおかずに煮豆をよく食べたものです。一家のおばあさんがゆっくりと時間をかけて煮るのが習わしでしたが、今の都会では店で買います。豆を揚げたりはあまりしませんが、このレンズ豆はパテとよく合ってますね」&lt;BR&gt;&lt;BR&gt;　テーブルの端で、ニコニコしながら私とマリクの真面目な会話を聞きながらアラックを飲んでいた主が、お代わりを促してくれた。&lt;BR&gt;　招かれた家の主を横に、甥っ子とばかり話していたのに気づかされた私は、「ご主人。アラックという酒はいつごろからアラブで飲まれているのですか？」&lt;BR&gt;&lt;BR&gt;　声を掛けられたのがうれしかった様子で、「かなり昔からでしょう。ナツメヤシやぶどうのような糖度の高い果実を発酵・蒸留してつくりますが、語源は、「汗がにじみ出る」とか「少量の水」の意味で、蒸留や蒸留物を指していたようです。中近東では、イラク・シリアを中心にエジプト・スーダンなど北アフリカでも伝統的な蒸留酒です」&lt;BR&gt;&lt;/FONT&gt;&lt;FONT color=#333333 size=3 face=&quot;&#039;MS Mincho&#039;, Serif&quot;&gt;&lt;BR&gt;　ウィキペディアによると、この中近東の蒸留技術が各地に伝播し、土地古来の醸造酒を蒸留した地方色豊かな「アラック」がつくられるようになったとある。　例えば、トルコではアラックから派生した「ラク」、ギリシャでは「ウーゾ」、英語・スペイン語・ポルトガル語では、アラックとほぼ同じ発音のようだ。元朝の料理書『飲膳正要』にある「阿刺吉酒」はアラックの漢語音写で、回方（イスラム世界）からもたらされたと紹介されているという。十四世紀、アラックの呼称のままモンゴル高原や華北に伝来して広く愛飲された。日本には江戸時代に長崎経由で輸入され、「阿刺吉」「阿刺基」と書いて「あらき」と呼んだとある。北原白秋の詩にも、「阿刺吉の酒」」とあった気がするが……。&lt;BR&gt;　アラックはきっと、バビロン王朝でも飲まれていたにちがいない。&lt;BR&gt;　&lt;BR&gt;&amp;nbsp;立ち上がったマリクが、テラスから居間へ入って行った席に、グラスを持った主がやってきた。&lt;BR&gt;「フミオさんと私の甥っ子は気が合ったのか、話が弾んでいましたね。あなたがメソポタミアの歴史にお詳しいのには心底驚き、感心しました」&lt;BR&gt;「私は、アラブの歴史に関心をもつ建築家として、基本的なことしか知りません。クウエートの仕事は、国際化する情報社会の基本インフラの電気通信施設を構築することですが、ラマダーン明け休みを利用してこの地を訪ねました。古い建造物は残っていなくても、バグダッド博物館の収蔵品を見るのが楽しみです。明日は、ぜひ見学したいと思います」&lt;BR&gt;　アラックを何杯もロックで飲んでいる主はいける口らしく、ウイスキーの手土産は正解だった。&lt;BR&gt;　白濁した水割りのアラックは、クセがなくて飲みやすい。主が勧めるままにグラスを重ねる。&lt;BR&gt;「バグッダドには日本車がたくさん走ってますし、私の会社でも、トヨタの小型トラックを数台使っています。大型はベンツですが……」　&lt;BR&gt;「それはうれしいですね。乗り具合はどうですか」&lt;BR&gt;「故障が少ないし、ディーラー駐在の日本人技術者が親切で腕がいいのです」&lt;BR&gt;「サンドストームのような過酷な条件下では、メンテナンス体制がしっかりしていないと、車の販売は伸びませんからね」&lt;BR&gt;「ところで、去年は日本で国際博覧会がありましたね。盛況でしたか？」&lt;BR&gt;「ええ、私はＮＴＴパビリオンの基本計画に携わり、貴重な体験ができました。開催地大阪は、徳川幕府が江戸（東京）に遷都した十七世紀初頭まで、奈良の平城京と京都の平安京につづく政治・経済の中心地でした」&lt;BR&gt;「日本で開くのは初めてだったのですか」&lt;BR&gt;「そうです。でも、江戸幕府末期のパリ国際博覧会に出展して、ヨーロッパに日本の文化を知らしめ、世界の多様な文物を知る、わが国初の機会になりました。それから間もない明治維新で、国家近代化の道に踏み出したのです」&lt;BR&gt;「イラクでは、あの強大なロシア艦隊を破った日本がよく知られています。その五年前（一八九九年）のイラクはオスマン帝国の中央集権下で、ドイツがバグダッド鉄道の敷設権を手に入れました」&lt;BR&gt;「イラク王国独立の一九三二年までは、イギリス軍のバグダッド占領や中南部の反英暴動を経て、委任統治が続きましたね」&lt;BR&gt;「曽祖父は、若くして土建会社をつくり、ドイツの大手会社の下請けで鉄道建設の仕事を始めて成功しました」&lt;BR&gt;「ほう！　そうですか！　失礼ですが、あなたは何年のお生まれですか？」&lt;BR&gt;「一九二五年です。まだイギリスの委任統治下でしたが、その年に、モースルのイラク帰属が国際連盟で決定されています」&lt;BR&gt;「ユーセフから聞いたのですが、二年前のモースルで内戦が起こり、町の道路が血の川になったそうですね」&lt;BR&gt;「とても悲惨でした。あの地域には、昔から多くのクルド族が住み、歴史的な経緯も複雑です。彼らは、イラン・トルコ国境沿いにも定住してきた少数民族なのです」&lt;BR&gt;「ヨーロッパ列強が、オスマン帝国を滅ぼした後のアラブの地に勝手に線引きしたのが、いろんな紛争や問題を起こしているではないですか？」&lt;BR&gt;「そのとうりですが、オスマン帝国がメソポタミアから北アフリカまでのアラブ全域を手中に収めた、十六世紀からの四百年間も他国の統治下でした」&lt;BR&gt;&lt;BR&gt;　小さな土建会社の四代目社長が、架空庭園を築造した新バビロニア王国・ネブカドネザル２世に仕えた土木技術者の末裔のような気がしてきた。&lt;/FONT&gt;&lt;/P&gt;
&lt;P&gt;&lt;BR&gt;&lt;FONT color=#333333 size=3 face=&quot;&#039;MS Mincho&#039;, Serif&quot;&gt;&amp;nbsp; &amp;nbsp; &amp;nbsp; &amp;nbsp; &amp;nbsp; &amp;nbsp; &amp;nbsp; &amp;nbsp; &amp;nbsp; &amp;nbsp; &amp;nbsp; &amp;nbsp; &amp;nbsp; &amp;nbsp; &amp;nbsp; &amp;nbsp; &amp;nbsp; &amp;nbsp; &amp;nbsp; &amp;nbsp; &amp;nbsp; &amp;nbsp; &amp;nbsp; &amp;nbsp; &amp;nbsp; &amp;nbsp; &amp;nbsp; &amp;nbsp; &amp;nbsp; &amp;nbsp; &amp;nbsp; &amp;nbsp; &amp;nbsp; &amp;nbsp;&amp;nbsp; （続く）&lt;BR&gt;&lt;/FONT&gt;&lt;/P&gt;</description>
			<category>長期連載｢アラブと私」</category>
			<category>アラブ</category>
			<category>イラク</category>
			<category>中東</category>
			<category>中近東</category>
			<category>旅</category>
			<category>紀行文</category>
			<author>(Ｍaｔｓｕｍｏｔｏ)</author>
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			<comments>http://blog.onekoreanews.net/nrn/79#entry79comment</comments>
			<pubDate>Wed, 21 Jul 2010 18:40:16 +0900</pubDate>
		</item>
		<item>
			<title>アラブと私　イラク３千キロの旅（３２）</title>
			<link>http://blog.onekoreanews.net/nrn/80</link>
			<description>&lt;P&gt;&lt;FONT color=#333333 size=3 face=&quot;&#039;MS Mincho&#039;, Serif&quot;&gt;アラブと私　&lt;BR&gt;イラク３千キロの旅（３２）　&lt;BR&gt;　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　松　本　文　郎　&lt;/FONT&gt;&lt;FONT color=#333333 size=3 face=&quot;&#039;MS Mincho&#039;, Serif&quot;&gt;&lt;/P&gt;
&lt;P&gt;&lt;BR&gt;　　　&lt;BR&gt;&lt;div class=&quot;imageblock right&quot; style=&quot;float: right; margin-left: 10px;&quot;&gt;&lt;img src=&quot;http://blog.onekoreanews.net/attach/14/1240256016.jpg&quot; alt=&quot;添付画像&quot; height=&quot;260&quot; width=&quot;200&quot; /&gt;&lt;/div&gt;　アハラムの手から盆を受け取ったマリクが、すかさず言った。&lt;BR&gt;「このアラックはアルコール度が四〇％です。水で割ると白く濁るので、「ライオンの乳」の別名があります。私はロックで飲みますが、フミオさんはどうなさいますか」&lt;BR&gt;「面白そうだから水で割ってください。あまり酒に強くはないですし……」　　　&lt;BR&gt;　グラス三分の一ほどのアラックは、水が注がれた瞬間に白獨した。&lt;BR&gt;「テーブルの料理は、アラックによく合う前菜ですから、どうぞ」&lt;BR&gt;　父親は、まだ料理を皿にとっていない私に勧めるものの、中国式に客の皿に料理をとることはしない。&lt;BR&gt;　アハラムは私に料理の説明をしようと、それぞれの皿を指さしながら、アラビア語でユーセフに伝えている。&lt;BR&gt;　それによれば、出ているのは「メッツェ」という前菜のいくつかで、オリーブ・ラディシュ・チーズの盛り合わせ、サラダの「タブーラ」、「ホムス」とよぶひよこ豆料理だという。「ホブズ」（平べったいパン・前出は「ホベツ」と表記）も出ている。&lt;BR&gt;&lt;BR&gt;　タブーラは、羊肉のパテの薄切りと揚げレンズ豆にレタスとトマトがのせてあり、ニンニク・レモン・各種スパイスのドレッシングがかけてある。&lt;BR&gt;　ホムスは典型的な前菜だそうで、一晩水につけたひよこ豆を鍋で一、二時間煮て、ミキサーにかけ、ごまペーストの「タヒニ」とニンニク・塩を加えてどろどろになるまでかき混ぜ、レモン汁をかけて出来上がりという。&lt;BR&gt;　浅めの皿に盛られたホムスの中央にオリーブ油をかけ、煮豆・パブリカ・みじん切りパセリが飾りにのせてある。&lt;BR&gt;&lt;BR&gt;&lt;div class=&quot;imageblock left&quot; style=&quot;float: left; margin-right: 10px;&quot;&gt;&lt;img src=&quot;http://blog.onekoreanews.net/attach/14/1079046110.jpg&quot; alt=&quot;添付画像&quot; height=&quot;226&quot; width=&quot;200&quot; /&gt;&lt;/div&gt;「ホムスを、ホブズで掬って食べてください」　&lt;BR&gt;　アラックによく合うといわれ、ひよこ豆もごまも好物だから、アハラムを真似て、千切ったホブズで掬って口に運んだ。　&lt;BR&gt;「日本の夏のビールには、茹でた枝豆がよく合いますが、これは、アラックにぴったりですね。アラブではよく豆類を食べるのですか」&lt;BR&gt;「ええ、よく食べます。聖書にも、古代エジプト人がレンズ豆やひよこ豆などを食べていたと書いてありますよ」&lt;BR&gt;　若いマリクだが、新聞記者だけのことはある。&lt;BR&gt;「アラブの食文化に興味をおもちなら、『アッバース朝の社交生活』という英訳本があって、当時の宮廷料理（七五○―一二五八）の飲食について知ることができます」&lt;BR&gt;　料理や食材のことをよく知っている従兄の一面をみたアハラムは、驚いているようだった。&lt;BR&gt;「アッバース朝といえば、バグダッドに都を遷した王朝ですよね」&lt;BR&gt;「よくご存知ですね。アラブ帝国の都は正統カリフ時代のメディナ、ウマイヤ朝のダマスカスを経て、アッバース朝第二代カリフ（アル・マンスール）がチグリス川畔のバグダッドに新都を築きました」&lt;BR&gt;「大学の西洋史で学んだのですが、アッバース朝の発端は、アラビア半島からビザンツ文化圏に北上したウマイヤ朝がアラブ貴族優先の社会だったので、対抗するイラン人中心の非アラブ系・新ムスリムの反乱が起こり、それが「アッバース革命」のきっかけになったそうですね」&lt;BR&gt;「いやいや。私よりずっとお詳しいので、びっくりです。」&lt;BR&gt;「アッバース朝の宮廷料理の本があるようですが、ダマスカスからバグダッドへ遷都したアラブ帝国は、たいへん栄えたようですね」&lt;BR&gt;「ええ、第七代カリフのアル・マームーン（在位八一三―八三三）のときが黄金期とされますが、革命後のイラン人との混血でアラブの血が薄まり、帝国のイスラム化が進みました。アッバース朝の最初の百年は、アラブ帝国がイスラム帝国になった黄金時代でした」&lt;BR&gt;「私が建築を専攻した京都大学では、最初の二年は教養学部で学び、多方面の講義を聴くことができ、西洋史も聴講しました。図書館で『京大西洋史』を読みましたが、精緻な研究と魅力的な記述で名高い本です。その本に、当時のバグダッドは東西貿易の拠点として未曾有の繁栄を誇り、都市文化の発達で学術の一大中心地だったとありました」&lt;BR&gt;「それはうれしいですね。遠いアジアの日本の人がバグダッドの歴史にくわしいなんて、思いがけないことです」&lt;BR&gt;「いえいえ、歴史の大筋を学んだだけですよ。それにしても、アッバース朝の時代に、アラブとイランの混血が進んだというのは、今のイラクとイランの関係を考える上で、重要な事柄ですね。私は、一昨年（一九六九年）、テヘランに二ヶ月滞在しましたよ」「やはり建築の仕事ですか」&lt;BR&gt;「ええ、イラン電気通信研究所の建築的基本計画の技術指導でした。オフィシャルパスポートで派遣され、帰国前に、イラン国の招待で古都イスファハンや史跡ペルセポリスを案内してくれました。同行したイランの電気通信技術者のお膳立てともてなしが至れり尽くせりで、実にすばらしい旅でした」&lt;BR&gt;「第七代のアル・マアムーンの半分の血はイラン人で。イスラム帝国代々の宰相を出したペルシャ系の名門バルマク家の出です。父親は、『千一夜物語』によく出るカリフのハールーン・アル・ラシードで、母親はハーレムに使えたイラン人奴隷でした」&lt;BR&gt;「ペルシャといえば、世界七不思議の『架空庭園』が、ペルシャ軍のバビロニア帝国征服で破壊されたのが紀元前五三八年ということですね。アハラムに、メディアから輿入れした王妃を慰めるために、夫のネブカドネザル２世が建設したと話しました」&lt;BR&gt;&lt;BR&gt;　マリクとの英語でのやりとりを、ユーセフとなにやらアラビア語ではなしているアハラムに聞かせようと、「アハラムは、そんな男性と出会うのは、いまどきムリでしょうと言ってましたよ」&lt;BR&gt;「ジャミーラのような少女たちは、こんな夢物語に憧れるでしょうが、しっかり者のアハラムは、歴史上の人物で絶大な力と富を手中にした統治権力者の特権を、かなり覚めた目で見ていると思います」&lt;BR&gt;　&lt;BR&gt;　従妹をしっかり者と言ったマリクの表情に、彼女を好ましく想っていると感じさせるものがあった。いかにも新聞記者らしい彼の語り口が続く。&lt;BR&gt;「エジプト・ナイルの河沿いの肥沃な土地に栄えた歴代王国と同じように、チグリスとユーフラティスに挟まれた沃地のメソポタミアには、四千八百年前のシュメール初期王朝や三千九百年前のバビロン第一王朝、ネブカドネザル２世の新バビロニアなどの栄枯盛衰がありました。それら王国・王朝の物語は、歴史の彼方に遠ざかりましたが、第七代カリフが成したバグダッド再興の偉業は、この地に生まれた私たちの誇りです」&lt;BR&gt;　&lt;BR&gt;　私は建築史の泰斗村田教授の講義を思い出した。&lt;BR&gt;「たくさんの小さな部族を束ねた王国や王朝に権力と富が集中して、壮大な都城や墳墓が造られました。歴史的建築遺産は、人類社会の歩みを示す足跡だと思います」&lt;BR&gt;「エジプトの遺跡はピラミッド・オベリスク・神殿などは石造でよく保存されていますが、バグダッド近辺の古代建造物は日干しレンガなので、ほとんど崩壊してしまいました。砂を固めたレンガが、元の砂漠に還えるのもインシャーラ（アラーの思召し）でしょうか」&lt;BR&gt;&lt;BR&gt;　マリクは、徒然草を書いた兼好法師の自然観というか、宗教的な思弁に通じるものを披瀝した。&lt;BR&gt;　私はすかさず、「徒然草」の出を唱えて、「アラブの思想を培った砂漠とは対照的に、アジア、特に日本では「水」だと感じています」&lt;BR&gt;「私はムスリムでもクリスチャンでもありませんが、人間の知を超えた大きな存在を否定はしませんよ」&lt;BR&gt;「クウエート郵電省の建築技術顧問ボーラス氏も同じ考えのようでした。カイロ大を出たエジプト人建築家で、奥さんはフランス人ですが」ね」&lt;BR&gt;&lt;BR&gt;&lt;BR&gt;　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　 &amp;nbsp; &amp;nbsp; &amp;nbsp; &amp;nbsp; &amp;nbsp; &amp;nbsp; &amp;nbsp; &amp;nbsp; &amp;nbsp;&amp;nbsp; 　（続く）&lt;BR&gt;&lt;BR&gt;&lt;div class=&quot;imageblock center&quot; style=&quot;text-align: center; clear: both;&quot;&gt;&lt;img src=&quot;http://blog.onekoreanews.net/attach/14/1044151209.jpg&quot; alt=&quot;添付画像&quot; height=&quot;368&quot; width=&quot;556&quot; /&gt;&lt;/div&gt;&lt;/FONT&gt;&lt;/P&gt;
&lt;DIV style=&quot;TEXT-ALIGN: center&quot;&gt;16世紀に描かれたバビロンの空中庭園れたバビロンの空中庭園&lt;BR&gt;&lt;BR&gt;&lt;BR&gt;&lt;/DIV&gt;</description>
			<category>長期連載｢アラブと私」</category>
			<category>アラブ</category>
			<category>イラク</category>
			<category>中東</category>
			<category>中近東</category>
			<category>旅</category>
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			<author>(Ｍaｔｓｕｍｏｔｏ)</author>
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			<pubDate>Sat, 17 Jul 2010 16:56:00 +0900</pubDate>
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			<title>瀬戸内しまなみ海道紀行　2000.08.12</title>
			<link>http://blog.onekoreanews.net/nrn/78</link>
			<description>　&lt;div class=&quot;imageblock center&quot; style=&quot;text-align: center; clear: both;&quot;&gt;&lt;img src=&quot;http://blog.onekoreanews.net/attach/14/1089149533.jpg&quot; alt=&quot;添付画像&quot; height=&quot;566&quot; width=&quot;400&quot; /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class=&quot;imageblock center&quot; style=&quot;text-align: center; clear: both;&quot;&gt;&lt;img src=&quot;http://blog.onekoreanews.net/attach/14/1000224466.jpg&quot; alt=&quot;添付画像&quot; height=&quot;512&quot; width=&quot;580&quot; /&gt;&lt;/div&gt;　　　&lt;img src=&quot;http://blog.onekoreanews.net/attach/14/1038240620.jpg&quot; width=&quot;157&quot; height=&quot;502&quot; /&gt;&lt;img src=&quot;http://blog.onekoreanews.net/attach/14/1019500364.jpg&quot; width=&quot;400&quot; height=&quot;501&quot; /&gt;&lt;BR&gt;&lt;div class=&quot;imageblock center&quot; style=&quot;text-align: center; clear: both;&quot;&gt;&lt;img src=&quot;http://blog.onekoreanews.net/attach/14/1008747376.jpg&quot; alt=&quot;添付画像&quot; height=&quot;541&quot; width=&quot;400&quot; /&gt;&lt;/div&gt;&lt;BR&gt;&lt;BR&gt;&lt;BR&gt;</description>
			<category>絵と文</category>
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			<category>瀬戸</category>
			<category>瀬戸内しまなみ海道</category>
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			<author>(Ｍaｔｓｕｍｏｔｏ)</author>
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			<pubDate>Tue, 13 Jul 2010 13:47:53 +0900</pubDate>
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			<title>瀬戸内しまなみ海道紀行　2000.08.11</title>
			<link>http://blog.onekoreanews.net/nrn/77</link>
			<description>&lt;div class=&quot;imageblock center&quot; style=&quot;text-align: center; clear: both;&quot;&gt;&lt;img src=&quot;http://blog.onekoreanews.net/attach/14/1304429606.jpg&quot; alt=&quot;添付画像&quot; height=&quot;923&quot; width=&quot;640&quot; /&gt;&lt;/div&gt;&lt;BR&gt;&lt;img src=&quot;http://blog.onekoreanews.net/attach/14/1214053862.jpg&quot; width=&quot;108&quot; height=&quot;520&quot; /&gt;&lt;img src=&quot;http://blog.onekoreanews.net/attach/14/1025722336.jpg&quot; width=&quot;503&quot; height=&quot;528&quot; /&gt;</description>
			<category>絵と文</category>
			<category>瀬戸</category>
			<category>瀬戸内しまなみ海道</category>
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			<author>(Ｍaｔｓｕｍｏｔｏ)</author>
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			<comments>http://blog.onekoreanews.net/nrn/77#entry77comment</comments>
			<pubDate>Tue, 13 Jul 2010 13:17:00 +0900</pubDate>
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			<title>瀬戸内しまなみ海道紀行　2000.08.10</title>
			<link>http://blog.onekoreanews.net/nrn/76</link>
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			<category>絵と文</category>
			<category>瀬戸内しまなみ海道</category>
			<category>紀行文</category>
			<category>絵描き</category>
			<author>(Ｍaｔｓｕｍｏｔｏ)</author>
			<guid>http://blog.onekoreanews.net/nrn/76</guid>
			<comments>http://blog.onekoreanews.net/nrn/76#entry76comment</comments>
			<pubDate>Tue, 06 Jul 2010 12:01:28 +0900</pubDate>
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