<ブログ編集者の森下に宛てたメールより>
20日締切りの、中学同期の”こころの遠隔交流”紙上句会「つれづれ」の投句とエッセイの原稿執筆が完了するかどうか次第です。なお、「みなづき会展」に出品した拙画の会場スナップを添付しますので、ご笑覧ください。
文ちゃんより
※クリックすると大きい絵が見られます。↓
'みなづき会展'に該当される記事3件
- 2012/06/19 「みなづき会展」に出品した拙画
- 2012/06/12 「第43回みなづき会展」ご案内
- 2011/05/21 「第42回みなづき会展」のご案内
「第43回みなづき会展」のご案内 松本文郎
水無月となるやいなやの台風接近もありましたが、いかがお過ごしでしょうか。
この25日で、喜寿+1歳になりますが、『文ちゃんの浦安残日録』に書きましたように、前立腺がんと穏やかに向きあいながら、元気に日々を送っています。
第43回「みなづき会展」を開催しますので、会期間際のご案内で恐縮に存じますが、お出かけの折にでも、ご高覧くだされば幸せに存じます。
『ふれあいの森公園の春』 水彩 10号色紙2連
昨年『「被災地浦安の早春』に続き、東日本大震災から1年たった公園を描きました。
この公園は、ゴミ焼却場の移転跡地利用計画に住民参加で「ふれあいの森公園を育む
会」を立上げて、開園後の利用管理を市から任されているユニークな公園です。
徒歩3分の近さで、朝夕の散歩はもちろん、季節ごとにスケッチを楽しんでいますが、満開の桜・森の新緑・大芝生・周回路などが、液状化に疲れた人びとを和ませました。
昨年の絵は、大芝生から眺めた桜並木・住宅地・建設中のスカイツリーなどでしたが、その風景を背に描いたのがこの作品です。
浦安ではいまも、液状化で傾いた家屋の復旧・建替や起伏陥没の応急処置がなされて
いた道路・下水道の本格復旧工事が、市内のあちこちで進行しています。
わが国建築技術の粋を集めて見事に完成したスカイツリーは、連日、大勢の見物客で
賑わっているようです。驚異的な自然力に畏敬の念を抱きながら、被災地の復興計画の実施が、人間の技術力を存分に発揮して、一日も早く着手されることを祈るばかりです。
『上野の森の建築素描2題』 木炭 10号色紙2点
このスケッチは、1月27日に観た北京故宮特別展「清明上河図」に触発され、上野公園を再訪して描きました。同図は、群衆の個々の動作・表情を描き分け、建物・樹木などの細部を驚異的な観察眼で微細に捉えた水墨絵巻でした。
帰りがけに、図に描かれた「南京櫨(はぜ)」の木を国立博物館の庭に見つけ、無性にスケッチがしたくなり、翌日、いそいそと出かけました。昼過ぎの公園入口の売店で、かんビール・つまみ・おにぎりを仕入れ、シニア特典の無料入場で、櫨の木の傍の建物を眺める芝に座り込みました。
この建物を描くのは2回目で、北斎展を観たあとの博物館新館前の噴水から、黄葉の銀杏大樹の背後に、水彩で描いたことがありました。
ビールを飲みながら構図を考え、ラフスケッチを済ませ、おにぎりを食べながら仕上げていきました。「清明上河図」の柔らかい毛筆ではなく硬いコンテなので、建物・樹木の全体を、粗い筆致の力感を意識して描きました。(第5回「文ちゃんの画文展」に出品)
東京文化会館の建築は敬愛した建築家前川国男の力作。彼の師・コルビュジェ設計の西洋近代美術館の庭の片隅でスケッチを始めようとしとき、若い監視員に、構内で描くのは遠慮してくださいと告げられましたが、ほんの短時間だけと頼んで、なんとか容認してもらい、1時間足らずで描きました。


「第42回みなづき会展」のご案内
東日本大地震で未曾有の災害をもたらした自然は、季節どうりの満開の桜と風に薫る新緑で、傷つき疲れたこころを癒してもくれました。
今年の「みなづき会展」を下記により開催しますのでご案内申しあげます。ご多忙とは存じますが、ご高覧くだされば幸せに存じます。
『被災地浦安の早春』(ふれあいの森公園)水彩・10号色紙2連
遠浅の海を埋め立て小さな漁村から東京ディズニーリゾートに変身した浦安の街は、震度5の地震による液状化現象で、思いがけない被災地となりました。
被災の詳細は、このブログの『文ちゃんの浦安残日録』に記しています。
この公園はごみ焼却場が海岸に移転した跡地で、地域住民が公園建設企画に参加し、「ふれあいの森公園を育む会」を立ち上げて、開園後の管理・運営を市からまかされているユニークな公園です。
徒歩3分の近さで、朝夕の散歩はもちろん、季節ごとにスケッチを楽しんできました。池と流れのビオトープを描いた拙画に詩を付して贈った大きな額が、公園一角のグリーンハウス内の正面に掲げられています。
今回の作品は、震災約一ヶ月後の「花まつりの日」から3日ほど通って描きました。見明川沿いの桜並木が咲き誇っている背後の家並の中には、液状化で傾いた家屋もかなりあり、当時、寸断した上下水道・ガスの復旧は未だでした。
東京タワーは先端が曲がりましたが、建設途上のスカイツリーはなにごともなく“ヨカッタ”と、実際の位置より左に、エイヤッとばかり移動させました。
巨大災害時の情報通信の途絶がいかに重大かを体験した大地震でしたので、無事な雄姿に登場してもらったわけです。
描いた枯れ芝は一ヶ月ほどで緑の原となって、少年サッカーチームの練習やシニア男女のグランドゴルフで賑わい、裸木らは新緑の衣をまといました。
自然の一部であるの人間は謙虚に生きなければ、と想いながら描きました。