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  1. 2010/12/30 第11回『IKSPIARI第九』  (2010.12.30/31にイクスピアリで公演)


11回『IKSPIARI第九』
 

 

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ディズニーリゾートの恒例「カウントダウン・セレブレーション」の一つ、『IKSPIARI第九』も11回目となった。公募合唱団のトップテナーとして毎回唄ってきた。それ以前、初めて第九を唄ったのは浦安市の「市民第九」だった。

 

食道がん手術で再びのいのちを得て立ったステージの感激は、今も忘れてはいない。

外山雄三指揮・東京フィルハーモニーとソリストは佐藤しのぶなど豪華な顔ぶれだった。

「市民第九」には連続10回参加したが、イクスピアリ・カウントダウン第九が始まって数年間は両方で唄った。以来、「市民第九」は開催されていないが、かれこれ20年の「第九」。

「第九」はシラーの詩に感動したベートーベンが30余年の歳月をかけて完成したとされる。

ロマン・ロランが、「ベートーベンは不幸な星の下に生まれた」と言ったように、7歳で母に死別し、飲んだくれの父と弟たちを養いながら苦闘した挙句、26歳のころから急に悪化しはじめた耳疾の絶望から、自殺まで決意したという。

しかし、想像を絶する人生の苦悩に立ち向かったベートーベンはやがて再生し、音楽創造の道を驀進する。苦悩に苛まれつづけた魂を奮い立たせたのが、若いころに敬愛したシラー

の詩『歓喜に寄す』だったようだ。まさに、「苦悩から歓喜へ」である。

 

 シラーの歓喜・人類愛を主題にした高邁な理想主義的観念は、ベートーベンの主義主張と一致していたといわれている。

「第九」の詩『歓喜に寄す』は、人類社会の紛争・戦争で分断された人間が、創造主の下にひれ伏し、再び結び合わされる歓びを謳いあげている。

 シラーとゲーテを尊敬していたベートーベンは、ルネッサンス、フランス革命、米国独立宣言などを経て、中世の桎梏から目覚めた人間社会への応援歌として「第九」を書いたのではなかろうか。

 詩のフレーズの“星の座にいます父なる主”とは、キリストのような既成宗教の「神」ではなく、人智を超えた“サムシング・グレイト”、宇宙の創造主を意味していると思われるし、シラーの詩にたびたび出てくる「世界」は、人間社会を育む地球全体を捉えていたのではと私は考える。

 

「第九」が200年近くも歌い継がれ、不滅のような生命力をもっているのは、「世界」を心から愛したシラーとベートーベンの魂が結合した、稀有な作品だからではないか。

 人間が手にした科学技術への過信と傲慢を自戒し、謙虚に生き、愛と平和に満ちた「世界」を築くことを訴える「第九」は、ジョン・レノンの『イマジン』に通じている。

 レノンが、「宗教のない世界を想像してみろ」と唄ったのは、既成宗教のことであって、

“サムシング・グレイト”的な創造主までも否定したのではなかろう。

 ヒロシマ・ナガサキに投下された原爆など、人類どころか地球の全生命の危機をもたらす核兵器の廃絶をめざす人類社会にとって、「第九」「イマジン」は重要な意味をもつ歌である。

 

9・11テロへの報復戦争を意図した米国で、「イマジン」が、マスコミを通じて自粛させられたのは、ベトナム戦争反対の人たちの愛唱歌だったからであろう。

米国の伝統的フォークソングを現代につないだボブ・ディランもまた、神話の引用などの自由奔放な作風と社会権力の欺瞞性などを揶揄する詩で、世界中の若者に愛された。

私と同じ術法の食道がん手術を受けて再生した小澤征爾さんは、「音楽・歌の力はすごく、

魂をゆさぶり、いのちを鼓舞する」と言ったが、同じような心境で始めた「第九合唱団」への参加で多くの人びとと出会い、喜寿を迎えてなお、日々元気に生かされている私である。

 

             (2010.12.30/31にイクスピアリで公演)





2010/12/30 14:29 2010/12/30 14:29