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  1. 2011/07/13 「文ちゃんの浦安残日録」 (Ⅰ―24) (1)

「文ちゃんの浦安残日録」 (Ⅰ―24)               

                              2011年6月2x日(x)

  近代国家日本の黎明をめざした龍馬は、倒幕・佐幕派の幅広い人脈の間を往き来し、暴力革命から無血革命に転換したので、双方から疑われ、疎んじられた節もありそうだ。
 幕府側が坂本暗殺を謀らなければ、無血革命後の維新政府のなかに、幕府側の有能な人物も登用され、龍馬自身が外務卿になるなどしていたら、日本の外交政策や国際関係の展開もかなり違っていたのではなかろうか。“タラレバ”は、「歴史」のロマンである。
 伊藤博文の憲法論に戻ると、明治政府の立憲主義の基本は、「憲法は、国民が国家を縛る手立て」との認識に立っていたことが、樋口陽一著『いま、憲法は「時代遅れ」か』に書かれていて、正鵠を射た伊藤の論に、唯ただ驚く。
 近代国家として歩み出した日本の憲法理念に卓見をもつ伊藤博文が、他国民の権利を蹂躙した人物として安重根に糾弾され、殺害されたのも、激動期の歴史の一コマだ。「歴史」は、権力側の視点で書かれて普遍化するのが常だから、反権力側から見ると逆の場合が少なくないし、日本と中国・、韓国との間で延々と続いている「歴史問題」も、互いの国家権力が、国益や威信をないまぜに論争しているので、なかなか決着しない。
 日本の憲法改正論議の中で、国家と国民の権利関係をめぐる改憲・反対派の論争にも、理念上の大きな差異が見られる。
 憲法九条では、改憲派は、もっぱら国家の権利を論じ、自衛隊の現実と矛盾する日本国憲法は異常で時代遅れだと言う。反対派は、現行憲法は時代遅れどころか、東西冷戦後の人類社会がめざす世界平和の実現のために、きわめて今日的な理念と主張する。
 改憲派も一色ではなく、国の安全保障を米国依存から自立した再軍備や仮想敵国への先制攻撃まで主張する時代錯誤派から、現実と矛盾する条項の論理的整合性を担保するのを旨とする法律論まで、かなりの幅がある。

 東日本大震災から二ヶ月弱の今年の憲法記念日のテレビ・新聞での憲法論議は、被災地の惨状と福島第一原発事故の報道の陰できわめて低調だった。しかし、大地震以前から疲労破壊寸前だった日本の政治・経済の建て直しを、大震災の復興構想と重ねて考える基盤として、憲法九条・二十五条は、国民のいのちの安全を守る重要な条項ではなかろうか。「憲法九条の会」が全国的に拡大しているのは、人類社会に向けた“不戦の誓い”こそが世界平和の礎であるとのコンセンサスを得ているからに他ならず、国際憲法学会名誉会長樋口陽一氏は、憲法二十五条1項「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」(わが母校の創設者森戸辰男の創案とされる)に、地震の巣の日本列島に制御不能な核エネルギーによる発電所を建設すること自体が違反いていると言う。

 安重根の文明観に、「天擾民を生じ、四海の内みな兄弟となす。各々自由を守り、生を好み、死を厭うは人みなの常情なり。今日、世人ひとしく文明時代を称す。然れども我ひとり長嘆す」「然らず、東西両洋、賢愚男女老少に論なく、各々天賦の性を守り、道徳を崇尚し、ともに競争の心なく、土に安んじ業を楽しみ、ともに泰平を享受す。これを文明とすべし」とあるのにはいたく共感し、感銘をおぼえた。

 坂本龍馬は土佐藩の下級武士だったが、安重根は高麗朝の名賢から数えて二十六代の孫という。安重根と龍馬の世界観には、人類社会の理想が通底していると思う。

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