「文ちゃんの浦安残日録」 (Ⅰ―24)               

                              2011年6月2x日(x)

  近代国家日本の黎明をめざした龍馬は、倒幕・佐幕派の幅広い人脈の間を往き来し、暴力革命から無血革命に転換したので、双方から疑われ、疎んじられた節もありそうだ。
 幕府側が坂本暗殺を謀らなければ、無血革命後の維新政府のなかに、幕府側の有能な人物も登用され、龍馬自身が外務卿になるなどしていたら、日本の外交政策や国際関係の展開もかなり違っていたのではなかろうか。“タラレバ”は、「歴史」のロマンである。
 伊藤博文の憲法論に戻ると、明治政府の立憲主義の基本は、「憲法は、国民が国家を縛る手立て」との認識に立っていたことが、樋口陽一著『いま、憲法は「時代遅れ」か』に書かれていて、正鵠を射た伊藤の論に、唯ただ驚く。
 近代国家として歩み出した日本の憲法理念に卓見をもつ伊藤博文が、他国民の権利を蹂躙した人物として安重根に糾弾され、殺害されたのも、激動期の歴史の一コマだ。「歴史」は、権力側の視点で書かれて普遍化するのが常だから、反権力側から見ると逆の場合が少なくないし、日本と中国・、韓国との間で延々と続いている「歴史問題」も、互いの国家権力が、国益や威信をないまぜに論争しているので、なかなか決着しない。
 日本の憲法改正論議の中で、国家と国民の権利関係をめぐる改憲・反対派の論争にも、理念上の大きな差異が見られる。
 憲法九条では、改憲派は、もっぱら国家の権利を論じ、自衛隊の現実と矛盾する日本国憲法は異常で時代遅れだと言う。反対派は、現行憲法は時代遅れどころか、東西冷戦後の人類社会がめざす世界平和の実現のために、きわめて今日的な理念と主張する。
 改憲派も一色ではなく、国の安全保障を米国依存から自立した再軍備や仮想敵国への先制攻撃まで主張する時代錯誤派から、現実と矛盾する条項の論理的整合性を担保するのを旨とする法律論まで、かなりの幅がある。

 東日本大震災から二ヶ月弱の今年の憲法記念日のテレビ・新聞での憲法論議は、被災地の惨状と福島第一原発事故の報道の陰できわめて低調だった。しかし、大地震以前から疲労破壊寸前だった日本の政治・経済の建て直しを、大震災の復興構想と重ねて考える基盤として、憲法九条・二十五条は、国民のいのちの安全を守る重要な条項ではなかろうか。「憲法九条の会」が全国的に拡大しているのは、人類社会に向けた“不戦の誓い”こそが世界平和の礎であるとのコンセンサスを得ているからに他ならず、国際憲法学会名誉会長樋口陽一氏は、憲法二十五条1項「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」(わが母校の創設者森戸辰男の創案とされる)に、地震の巣の日本列島に制御不能な核エネルギーによる発電所を建設すること自体が違反いていると言う。

 安重根の文明観に、「天擾民を生じ、四海の内みな兄弟となす。各々自由を守り、生を好み、死を厭うは人みなの常情なり。今日、世人ひとしく文明時代を称す。然れども我ひとり長嘆す」「然らず、東西両洋、賢愚男女老少に論なく、各々天賦の性を守り、道徳を崇尚し、ともに競争の心なく、土に安んじ業を楽しみ、ともに泰平を享受す。これを文明とすべし」とあるのにはいたく共感し、感銘をおぼえた。

 坂本龍馬は土佐藩の下級武士だったが、安重根は高麗朝の名賢から数えて二十六代の孫という。安重根と龍馬の世界観には、人類社会の理想が通底していると思う。

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2011/07/13 15:08 2011/07/13 15:08


「文ちゃんの浦安残日録」 (Ⅰ―23)   
                 
                                                         2011年6月1x日(x)

 安重根の『東洋平和論』の序の冒頭に、「人は結合すればうまくいき、離散すれば失敗するというのは古よりの定理である。現在、世界は東西に分かれており、人種もそれぞれに異なり、互いに競い合っている。利器の研究は農業や商業をしのいでをり、新しい発明である電気砲(機関砲)、飛行船、潜水艇などはみな人間に害を与え、物を壊す機械にすぎない」「青年たちを訓練し、戦場へ追いやり、多数の貴重な生命を生贄のように投げ捨て、血が小川のように流れ、肉片が地にちらばっている。そういう有様が、日々絶えることがない。(中略)このような文明世界というものはいかなる光景だというべきかこのように考えると、骨と身がずきずきと激しく痛み、心が冷えきるものだ」
 
 長い引用をあえてしたのは、講演者の一人小川晴久氏(東大名誉教授・近現代中韓史)が「東洋平和論の今日的意義」で述べたように、“テロリストのイメージが強烈だった”安重根が、国際連盟に10年、EU・APECに数10年も先立ち、東洋と人類社会の平和を志向していた人物と分かったからである。

「テロ」は、フランス革命最盛期の恐怖政治に端を発し、恐怖心を起こすことで特定の政治目的を達成しようとする組織的暴力の行使とされる。既成権力への抵抗手段の呼称「テロ」がおぞましい響きであるのに対して、権力が行使する組織的暴力は、“軍事作戦”“諜報活動”の表現で正当化されるので、その定義は、一筋縄では行かない。

 韓国総監を務めた伊藤博文を確信的に殺害した安重根を、テロリストとみるかどうかをためらう日本人もいたようだ。ただ、日露戦争の日本の大勝利を「天命」だったかのごとく絶賛したこと、博文暗殺から間もなく韓国併合が実施されたことを思うと、安重根の時局・人物判断のすべてが正しかったかには、微妙な面がありそうだ。明治憲法制定会議での伊藤博文が、「憲法の趣旨は、君権を制限し、臣民の権利を保全することにある」と述べているが、これは、国家権力は、専制的で侵略的であるから、憲法によって縛る必要があるとの認識をもっていたことになる。安重根が知っていたかは分からない。
 明治維新の夜明け前に縦横の活躍をして暗殺された坂本龍馬は、幕府権力からみれば、長州など幕府に楯突くテロリスト集団の一味と見られていたにちがいない。
 京都守護職の会津藩主松平容保の家臣で守護職公用人手代木直右衛門の子孫への伝言には、龍馬殺害は、新撰組でも土佐藩からの刺客でもなく、弟の佐々木只三郎によると書かれているが、長年、手代木家の子孫が秘匿した伝言で、寺田屋事件以来、諸説紛々の犯人探しに終止符が打たれるのであろうか。
 その最後が悲劇で終わるのがヒーローの条件とするなら、龍馬はもとより、安重根もオサマ・ビン・ラディンも、彼らを尊敬し、支持しする人びとにとってはヒーローなのであろう。
 ちなみに、京都祇園で遊興に耽っていたのは新撰組だけではなく、長州の志士たちも一晩に一千両を湯水のように使ったそうで、永田町住人の料亭政治は、与野党を問わずその流れを汲むものだったのか・・・。

 薩長を結びつけた龍馬は、西郷の暴力革命志向から無血革命に転向して殺されたが、安重根が示唆されたように、幕府も間違った人物を殺してしまったのではないか。

(続く)

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画像↑ 統一日報社編『図録・評伝 安重根』(日本評論社)より
2011/07/13 14:13 2011/07/13 14:13

「文ちゃんの浦安残日録」 (Ⅰ―22)  
                               2011年6月x日(x)

「松本文郎のブログ」編集・制作担当のM女史から、『図録・評伝安重根』(日本評論社)の出版記念講演会と出版記念会へのご招待を受け、韓国文化院へ出掛けた。文化院とは20年来の「韓国音楽友の会・歌謡コンクール」のご縁だが、四ッ谷移転後の文化院へは、韓国女性声楽家金貞玲さんの離日に際して開催された送別コンサート(東京リーダーターフェル・ジルバーナの仲間が出演)以来の再訪だった。

 金貞玲さんとのご縁は、彼女が率いた女声合唱団とわが浦安男声合唱団が、国際合唱フェスティバル(東京文化会館)・サッカー・ワールドカップ共同運営・祝賀コンサート(横浜)で共演したことなどだった。

 安重根とのご縁といえば、1996年の世宗文化会館「浦安男声合唱団ソウル演奏会」の翌日に訪ねたソウル特別市の「安重根義士記念館」が始まりである。
日本では、「明治維新の元勲」を殺害したテロリストとみなすのが一般的な安重根が、韓国では、韓国支配の象徴的存在だった伊藤博文をハルピン駅頭で射殺した大韓義軍の参謀中将として英雄視されていることを知った。

 記念館に掲げられていた遺墨の雄渾な字に魅かれてコピーを求めたら、女性ガイドが、遺墨のコピーを買った日本人を初めて見たと言い、年配の団員からは冷ややかな視線を浴びたことが思い起こされる。

 講演会に先立つ挨拶で、『図録・評伝 安重根』を監修した統一日報社社長姜昌萬氏は、獄中で『東洋平和論』を書いた安重根が、韓日中がそれぞれ持てるものを生かして、東洋平和ひては世界平和を築こうと夢みた先見性を指摘し、現在の東北アジアの状況を安重根が見たら、「おまえたちはなにをしているのだ!」と叱られるだろうと述べられた。

 安重根の辞世の言葉に、「私は、大韓独立と東洋平和のために死ぬのだから悔いはないが、国権回復の日を見られないのが無念だ。われらの大韓が独立してこそ、東洋に平和が訪れ、日本も、将来の危機から免れることを深く考えてもらいたい」とあるそうだ。
 だが、「韓国併合推進派・大陸侵略派」とされる山県有朋、桂 太郎、寺内正毅、後藤新平らとは異なる考えの持主の伊藤博文を殺した安重根は、殺す相手を間違えたと非難するのが日本人一般であろう。
 ところが、「東洋平和論」の序に、欧州列強の中で最も邪悪な武力行使をしていた残虐なロシアをやっつけた日本を、“「天」の意思に遵い、「地」の配慮(韓・清両国)を得たもので「人」の正しさに応理しているとまで書いている。さらに、「日本とロシアが開戦するときの天皇の宣戦布告文にある、”東洋平和を維持し、大韓独立を強固にする“との大儀があったから、韓国と清国は一致団結して協力した」とも述べている。

 思えば、日露戦争に勝利した日本が、安重根が構想した東洋平和のために、欧米列強を駆逐するよりむしろ、列強と同じようにアジアの同胞を侵略する側に立ったことに、深い絶望を抱いたのであろう。伊藤博文個人の考えの問題ではなく、アジアを侵略するアジアの国日本の象徴とみたにちがいない。

 ソ連のアフガン侵攻に米国と共に戦ったオサマ・ビン・ラディンが、サウジアラビアへの米軍駐留に反発して9.11テロを起こしたとされるのに通底するものを感じる。安重根は、大陸侵攻と無謀な太平洋戦争で滅亡の危機に直面した日本を予見した。 (続く)



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2011/06/17 11:39 2011/06/17 11:39