アラブと私
イラク3千キロの旅(34)

                            松 本 文 郎 

  
添付画像
 リビングの方でマリクの声がした。
食事の用意ができたので、そろそろ家の中に入ったらどうかと言っている。
 家の主との話もひとしきりなので、腰を上げることにしよう。

 ところで、このくだりを書いている今現在は、二○一○年の八月十日の早朝である。
 ヒロシマ(六日)ナガサキ(九日)の原爆投下から六十五年。両市での追悼の平和記念式典にも大きな変化があった。
 「イラク3千キロの旅」を触発された『何でも見てやろう』の著者小田 実は、「九条の会」の呼びかけ人の一人なので、亡き氏への報告のつもりで「道草」をしたい。
 それにしても、井上ひさし、加藤周一までもが鬼籍に入ってしまった。さみしいかぎりだ。
「不戦の誓い」を共有する私も、『アラブと私』を書き続けて、冥福を祈る手向けとしたい。

 九人の呼びかけ人のひとり三木睦子さんの夫君、元首相三木武夫氏がオイルショックのアラブ歴訪でクウエートに来られたとき、若気の至りから、ホテルで直言申し上げた思い出がある。イラクの旅の後の章で取り上げるつもりだ。

添付画像
 「ヒロシマの願いを、世界へ、未来へ伝えていくことを誓います」ヒロシマの平和記念式典の会場に響きわたった小学六年男女のメッセージの結びの言葉である。昭和九年生まれの私は、父が広島鉄道管理局に勤めた広島市で十年間年暮らし、原爆投下前年の小学四年の夏に、父の実家へ縁故疎開して被爆を免れた。

 住所は比治山下の皆実町二丁目。被服省倉庫と専売局・タバコ工場を結ぶ道の途中だった。叔父の家に間借りして単身勤務だった父は、福山の疎開先へ来ていて助かったが、二日後には勤務先に戻り、地獄絵さながらの惨状を目の当たりにした。

 口数少ない部類ではない父だったが、享年七十八まで、地獄絵の詳細を語ることはなかった。ただ、川に累々と浮かぶ屍を見、道に横たわる遺体を避けながら管理局への道を歩いたことだけは、聞いていた。
 福山城公園にある福山文学館には、郷土の文学者井伏鱒二の『黒い雨』の原稿が陳列されているが、吉永小百合主演映画『夢千代日記』や、丸木夫妻が渾身で描いた『原爆絵図』なども、人類初の被爆体験の酷さを後世に語り継ぐ、すぐれて貴重な作品ではなかろうか。

添付画像
 今年の式典参加者には、大きな「チェンジ」があった。

 これまで不参加だった米国からはルース駐日大使、英仏両国からは臨時代理大使が、核廃絶を強く訴える潘基文国連事務総長と共に参列したのである。
 これまでに中国・ロシアが参加しており、遅きに失するとの声もあったものの、多くの広島市民が好意的に受けとめたのは、うれしかった。
 式典中継のテレビカメラが、ボディーガードに囲まれて硬い表情のルース大使を捉えていた。昨年4月のプラハで「核なき世界」をめざすと宣言して、ノーベル平和賞を受賞したオバマ大統領の意向を受けた列席であろう。

 人類史上初の核兵器使用を広島と長崎で敢行した米国では、原爆投下による戦争終結で多数の命を救ったとする説を信じる人が六十%いるというが、ルース大使が、英仏代表のように記者会見をせず沈黙のまま広島を去った背景に、アメリカの国民感情を垣間見る気がする。

 そうした国内事情にも拘わらず、プラハ演説のあとのオバマ大統領が、主要国首脳会議(G8)の核声明、米核戦略の見直し、米ロ核軍縮の署名、初の核保安サミット開催と、積極的に動いてきたのはさすがだった。

添付画像
 元広島平和記念資料館長高橋昭博さんが、就任まもない大統領への手紙で、ヒロシマ来訪をうながしたそうだが、核兵器の使用が十数万人の一般市民になにをもたらしたかを資料館で見て、核兵器の絶対否定「核廃絶」への歩みを強めるように望んだという。


 核のない世界平和をアピールした小学生二人の年ごろで被爆を免れた私は、六月に喜寿を迎え、「非核平和宣言都市」浦安市の戦没者遺族会主催「みたま祭」の懸けぼんぼり揮毫を、市美術協会の女性会員から依頼され、世界平和祈願の詩と絵を奉納した。


「万有の愛」


     宇宙の根本の力と万有の存在原理を私は信じる。
    光が万物にそそぎ 引力が万物に働くように、 
   愛もまた万物にそそぎ、万物を動かしている。

  愛は宇宙の根源より発し 万物を支えている。


「鎮魂歌」

  被爆者の屍ただよふ川なかに 
   蟹を捕らえて食みしと聞けり

    原爆に焼き付けられし人影の 
     薄れゆきてもその忌忘れじ



 
添付画像
 これらの三編の詩には、すばらしい英訳を付すことができた。住まい近くの「ふれあいの森公園」で思いがけなく出会ったアメリカ人女性カレンさんの好意のすぐれた翻訳だった。彼女の母親は60年代の米国内でベトナム難民の世話をし、ベトナム戦争に反対したカレンさんの子供たちが近所の子供らのいじめに遭った体験を話してくれた。国際都市を呼称する浦安市には三十数カ国からの人が在住し、私自身も浦安市國際交流協会員だが、「みたま祭」で、外国語表記のメッセージを見たことはなかった。靖国神社に参拝する遺族会員の中には、違和感をもつ人があるとしても、戦争のない世界平和を祈願する想いに国境はない。国民を戦争に駆り立てる政治家たちは“戦争の大儀”を言いつのるが、敵味方共に多数の兵士と老若男女の国民が、殺し、殺されるのが戦争だ。


 カレンさんが敬愛している米文学者のカール・ヴォネガット(米国人間主義者協会名誉会長で、三年前に逝去・享年八十四)の著作を教えてくれたので、図書館で『国のない男』の原書を借りて読んだ。白人至上主義的米国人の蒙昧さを痛烈に批判しているのは、カンヌ国際映画祭の最高賞パルム・ドールを受賞した映画『華氏911』のマイケル・ムーア監督に負けず劣らずで、戦争をしたがったブッシュ一派を痛罵しているのも同である。「みたま祭」の一夕、カレンさんと「九条の会・浦安」事務局長Yさん他を、家に招いて歓談してから会場に出かけ、参道両側の懸けぼんぼりの列を見た。

添付画像
 八月六日の宵、ヒロシマの爆心地の灯篭流しの情景がテレビ中継され、川面を静かに下ってゆく彩り鮮やかな灯りの群れを見ながら、被爆で亡くなった皆実町小学校の同級生の冥福を祈った。

 それにしても、明確に核廃絶への道を訴えた潘基文国連事務総長と、式典当日に言わずもがなの、核の傘の抑止力に言及した菅総理大臣の無神経さには呆れるほかなかった。
 核持込みの密約を暴いた民主党代表なのだから、「非核三原則」を堅持する法制化を宣言してこそ、一貫性があるのではないか。

 日本の米軍基地に核兵器が持ち込まれないことを担保するのが、他国の核攻撃を招かない確かな安全保障ではないのか。
添付画像
 そもそも、核攻撃をしてくる仮想敵国はどこなのか。米国が「ならずもの国家」と呼ぶ北朝鮮やイランであれば、核が持ち込まれているかも知れない米軍基地が日本にあるからだろう。


 長崎の被爆者との会合で、人類の未来を確かにするには核廃絶しかないと述べた潘基文国連事務総長の熱意は、核廃絶の具体的スケジュールを、死ぬ前に知りたいと訴えた高齢被爆者に届いたと思う。

 世界唯一の被爆国日本の長崎を人類最後の被爆地にとどめるには、核武装やミサイル防衛の論議でアジア諸国の不安を煽るよりも、戦争放棄した日本独自の平和外交を超党派で展開することだ。核兵器問題だけでなく、国民皆保険や金融規制などの政策に粘り強く取り組んだオバマ大統領の「チェンジ」に比べて、政権交代を選んだ国民の期待を担うべき菅政権の低迷ぶりには、やきもきさせられるばかりだ。


(続く)


添付画像




2010/08/20 12:53 2010/08/20 12:53


添付画像

添付画像

添付画像

添付画像

添付画像

添付画像

添付画像

添付画像

添付画像




2010/01/16 16:55 2010/01/16 16:55

アラブと私 
イラク3千キロの旅(12)
 
              松 本 文 郎 

 
 9・11テロの直後に、「われわれと共にあるか、それとも、テロリストと一緒になるか」と、議会の演説で叫んだブッシュ大統領は、イスラム教徒らのテロに報復する十字軍の総大将に見えた。
前のめりで開戦に踏み切ったイラク戦争は、開戦の大義だった大量破壊兵器も9・11と旧フセイン政権を結びつける確証も見つからず、米兵の犠牲とイラク国民の困窮は増すばかりだった。  
 振りかざした侵攻の大義(?)を自由と民主主義の伝道(?)に切り替えたブッシュ大統領の舞台の幕は、間もなく引かれようとしている。

 ユーセフが話したカルバラのシーア派聖廟の由来を記している途中だが、イスラム史初期のスンニ派とシーア派の発祥が、ムハンマドの教義伝承の争いの衣装を纏った共同体統治の権力闘争だったのではと思われ、イラク戦争と宗教の関わりの視点からも道草をつづけ、イラク情勢の重要な変化を書きとめておきたい。
 そうした経過への不満を募らせたアメリカ国民が突きつけたのが、二期目の大統領支持率の史上最低という世論調査結果である。
 戦争に際して米国民が重視するのは、任務の明確さとその成功だとされ、ブッシュ大統領はその双方で大きな過ちを犯し失敗したと見られている。

 今回のブッシュの訪問は、米軍撤退時期についてマリキ首相と取り決めることだったようだが、二○○六年五月の正式なイラク政府の首相に就任してから指導力不足を指摘され続けてきたマリキ首相が、米軍撤退後、イラク国民が求める治安回復と和平を実現できるのかどうか……。 
 求心力のないマリキ政権下で、過激派テロの横行と内戦状態がつづき、治安、行政サービス、インフラ整備などは旧フセイン政権時代よりも悪化したといわれ、人々の生活は一向に改善されず困窮を深めている。
 マリキ首相の政権運営に対するイラク国民の抗議が高まり、彼の出身母体であるシーア派の閣僚辞任が相次ぎ、スンニ派有力会派「イラク調和戦線」も政権から離脱、クルド人参謀長と九人の軍司令官が辞任して、政権はいっそう弱体化した。
 強権で国家を統一していたフセイン政権が消滅してパンドラの箱が開いた結果、シーア派、スンニ派、クルド人らの宗教的・民族的対立が顕在化し、石油の利権をめぐる覇権争いも激化するだろう。
 連載の(3)で書いたように、バスラの油田地帯の利権を巡り、首相直系の治安部隊とサドル師傘下の民兵組織マフディ軍(シーア派同士)との戦闘で多数の死者が出た結果、戦闘はバグダッドにも拡大し、米軍も戦闘正面に出ざるをえなくなった。

 反米宗教指導者のサドル師の背後にいるとされるシーア派大国イランへの非難を強める米軍に押されるように、国民会議のシーア派議員団をイランに派遣したが、「タラバニ大統領とマシュハダニ国民議会議長ら、旧フセイン政権時代からイランとの太いパイプをもつ有力者が主導する問題解決しかない」といわれ、マフディ軍解体の目途どころか、首相の力量不足を露呈するにとどまって今日に至る。
 当時のブッシュ大統領は「イラクの指導部に不満はあるが、更迭を決めるのはイラク国民だ」と言い、次期大統領候補の一人だったヒラリー・クリントン上院議員も「イラク議会がマリキ首相を交代させ、もっと各宗教・民族をまとめられる人物を選ぶよう望む」との声明を出している。

 冷戦下のベトナム戦争で、南の傀儡政権を担いで不当介入した挙句に敗退した教訓を生かせない米国の復元力はどうなったのかと訝っているところへ、なんと初の黒人大統領バラク・オバマの登場である。
 小田 実なら、この待望の歴史的瞬間を書く横道をさらに歩きつづけただろうが、私は後にしよう。    
 イラクでは、拘束された記者の早期釈放を求めるデモ行進が報じられ、「靴で敵(米国)を打ちのめした」「ブッシュ(大統領)に最高の贈り物をした」のメールが活発に飛び交っているという。
 イラク戦争をミスリードした不名誉の挽回を画策したブッシュ大統領は、この著述の冒頭で引用した自作の替え歌どおりにホワイトハウスを出て、芝生のある自宅での気ままな暮らしに戻るだろう。
 しかし、アメリカ発の世界同時経済不況が民衆の暮らしに深刻な事態をまねき、世界各地域で米国に対する見方が悪化している状況では、ブッシュ政権の今後の評価はきわめて否定的なものになるにちがいない。

 マーチン・ルーサー・キング牧師の「夢」を叶えたオバマが、はたして、期待される「チェンジ」を米国と世界に巻き起こせるか。世界中の人たちが米国民と共に見守るだろう。
 リンカーンの「奴隷解放百年」を期した人種差別反対のワシントン大行進で二十五万人の先頭に立ったキング牧師が、あの「アイ・ハブ・ア・ドリーム」の歴史的演説をしたのは一九六三年。
 ケネディが大統領に就任した六一年にオバマが生まれたというのも、奇しき縁ではないか。

 公民権法案を議会に提出して差別撤廃をめざしていたケネディ大統領は、キング牧師をホワイトハウスに招いたが、テロの凶弾に倒れた。翌六四年に法案は可決されたが、六十八年、理不尽にもキング牧師は暗殺されてしまった。
 奴隷解放から一世紀半近く経ってようやく実現した黒人大統領。その道筋で、リンカーン大統領の暗殺をはじめ、邪悪なテロによっておびただしい血が流されてきた。

 ブッシュ大統領は、9・11テロへの自衛攻撃として強引にイラクへ攻め込んだが、米国の歴史は、自国民の手によるテロで血塗られているのだ。
 憎悪が憎悪を増幅して、果てしない殺戮の応酬が繰り広げられる現実が私たちの目前にある。
 キング牧師は、戦争と暴力の二十世紀に非暴力の抵抗を唱え祖国インドの独立を勝ちとったガンジーを尊敬し、彼から多くを学んだ人だった。
 だが、植民地主義のイギリスからの独立を導いた宗教的聖人で政治的指導者だったガンジーもまた、凶弾に倒されてしまったのである。
 ガンジーは、「真理が神」と唱え、世界の宗教はすべて一本の大樹の枝や葉でその根は一つなのだ、と壮大な宗教観を説いていた。スンニ派とシーア派は、大樹の一枝である「イスラム」の葉っぱ同士ではないか。

 ムハンマド後継の正統性をめぐるスンニ・シーア両派の抗争が、共同体統治の権力闘争の大義を主張しあう争いだったように、イラク侵攻の決断をしたブッシュ大統領が、「これは十字軍の戦いだ」と叫んだのは、宗教戦争とみなされていた十字軍の目的が実は版図拡大にあったとする最近の歴史学の定説に符合している。

 人類史のおびただしい戦争の動機は、政治・宗教権力の版図拡大であったが、異教徒や異端を滅ぼすことを大義としても、“衣の下に鎧が隠されていた”のは、古今東西に変わりはないようだ。
 そもそも、国や民族の「歴史」は、権力者の側に立って書かれたものが多く、国民国家でさえそうだから、“歴史認識”の論争が生じるのだ。
                  (続く)




添付画像




2009/01/30 10:12 2009/01/30 10:12