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  1. 2008/10/14 アラブと私 イラク3千キロの旅(6)

アラブと私 
イラク3千キロの旅(6)
                                              松 本 文 郎

  バスラの食堂のうまいカバーブで腹ごしらえをして、いよいよバグダッドへ向かおうとしていると、この拙文を読んでくださっている方々の一人、田代穣次さん(情報通信国際交流会主宰)から手紙が届いた。
 興味深い内容なので手短に紹介しておきたい。
 氏の文面をそのまま転記すると、「……歴史・文化や現状などを交えてあって面白く、アハラムはどうなるのかと期待が膨らみます。気象学の歴史に『ヤンガードリアス・イベント』という一万年前に起きた事件があります。この結果起きた極寒・乾燥で肥沃な三日月地帯に農業が起こります。八千年前に同様な事件が起きます。「ミニ氷河時代」ですが、このとき地中海の海水が上昇し、マルマラ海よりも下方にあったエウクイセイノス湖が氾濫して黒海が形成されました。この時の大洪水が人々の記憶に残った、という説もあります。若いときに中東を歩いた松本さんが羨ましくなります。…」
 電気通信技術専攻で博学な田代さんにシュメル神話より3千年も前の地球気候変動の知見を教えられた私は、黒海とトルコ・イラクの位置関係を地図で眺めながら、「ノアの箱舟」の神話の由来にいっそう興味をかきたてられた。
 だが、もうバグダッドヘ向かわねばならない。

 左ハンドルのトヨペット・クラウンの運転席に座り、ユーセフが言った。
「バグダッドまでひたすら走りましょう。夜中になるかもしれませんからね」
 ユーフラテスに沿って北上する道筋に、ナシリア、サマワ、ナジャフ、ヒッラ、カルバラなどがあるが、なんとしてもバグダッドヘたどりつきたい。
 運転の上手いユーセフだが、疲れたら交代しよう。後部座席の両脇に置いたソニーの小型スピーカーにつないだテープ再生機を助手席の横に置き、アラブ音楽のカセットをかけて出発した。
 クウェートに来て半年の間に手に入れたレバノン、エジプトの歌謡曲がすっかり気に入った私は、車中のBGMにしようと、十本ばかりを持ってきたのだ。

 バスラの街を出てバグダッドへの国道を走りながら、レバノンの流行歌の調子のいいリズムで腰をゆらしていたユーセフが、「バグダッドでイラク音楽テープを探しましょう」と、楽しそうに言った。
 一口にアラブ音楽といっても、中東を中心にアフリカからカスピ海周辺までのアラビア語を話す国・民族の音楽のことだ。シリア、イラク、レバノン、エジプト、チュニジア、アルジェリア、モロッコ、イエメンなどで、クウェートの音楽店にはレバノンとエジプトのものが多いようだった。

 当時はLPレコードの方がカセットテープよりもコンテンツが豊富だったが、小型カセット・デッキと対のスピーカーのセットを日本から運んでいたので、主にカセットを買っていた。
 レバノンものが多いのは、中東のスイスといわれ風光明媚だったレバノン・ベイルートが最も西洋化がすすんでいて、音楽ジャンルでも欧米の影響が色濃く、しゃれたアレンジや演奏がクウェートの若者らにうけていたのだろう。
 エジプトものでは民族色の強い古謡やローカルな歌音楽が多く見られ、出稼ぎの人たちのなぐさめになっていたようだ。          
 昨晩楽しんだベリーダンス音楽に、イスラム成立後の王国の栄光のなかで洗練され、さらにスペインで培われたアラブ・アンダルシア音楽の流れを感じていた。
 このアラブ音楽を継承し、さらに発展させたのはアラブ圏に版図をひろげたオスマントルコの宮廷だといわれている。
 やはり、スルタンのハーレムとベリーダンスには因縁浅からぬものがあるようだ。

 時折、カセットを交換しながら車窓を流れる農地の風景を眺めていた。このあたりはユーフラテスの流域に近いのかと思っていると、「川に来ましたよ」と、ユーセフが前方を指差した。堤防と橋が近づいてきた。
 ユーセフに車を停めてもらい、三日月地帯の西側をふちどるユーフラテスを撮ろうとカメラを構えた、そのときである。 
 橋のたもとから現れた人影が私たちの方へ走ってくるのが見えた。
「チーフ、まずい! 警備兵がやってきます。橋は軍事拠点なので写真を撮ってはいけないのです」
 私はとっさに、戦争中の夏休みに体験したことを思い出した。
 鉄道管理局に勤めていた父と暮らしていた広島から父母の故郷福山へ呉線経由で行ったとき、軍需工場の呉造船所にさしかかると、窓のブラインドを下ろすようにとの車内放送があった。すでに太平洋戦争が始まっていた。写真を撮るどころか、窓の外を見るのさえ禁止されていたのだ。

 余談だが、NTT民営化の立役者真藤恒は、戦艦大和を建造した石川島播磨造船から、秘書一人だけを連れて電電公社へやってきて偉業を成し遂げた。
「もし、フィルムを渡せといわれたら、すぐ従ってください。私が話をしますから、チーフは黙っていてください」思いがけないユーセフの緊張した表情に驚き、黙ってうなずいた。
 銃を肩にかけた若い兵士が車に走り寄ってきて、ユーセフと言葉を交わしている間に、私はカメラからフィルムを取り出した。
「日本の建築家がイラクの遺跡を見にきたと言ったのです。フィルムさえ渡せばいいが、これから先は注意するようにとのことです」
 少年の面差しの実直そうな兵士にフィルムを渡しながら私は、「シュクラン・ヤーニ」と言った。
「ありがとう」とは少しおかしな挨拶だが、兵士は笑いながら車を離れ、橋のたもとへ戻って行った。
 第二次世界大戦の映画で橋の確保をめぐる攻防戦がよく出てくるが、共和国として独立して間もないイラクの国土防衛の一面を見た思いがした。

 バース党政権成立から二年余りだったが、八年後に大統領に就任したサッダム・フセインがイラクの惨状の張本人になるとは、大方のイラク人は予想していなかったのではないか。
 ナチス・ドイツと戦っていたソ連軍への物資輸送の車列が渡ったかもしれない橋の写真を奪われたのは仕方ないとしても、ベリーダンスのスナップ数枚には未練が残った。クウェートでは、王宮の儀仗兵しか見たことのない私が、のんびり気分のままでイラクへやってきて浴びた最初の冷水だった。

 思えば、ユーフラテスはノアの箱舟の由来にとどまらず、メソポタミア成立、バビロニアがペルシャに敗れて以降の、アレキサンダーのペルシャ征服、アラブ・イスラム教徒のバグダッド攻略と商業・文化による世界の中心地化、モンゴルの侵入、オスマン・トルコによる奪回、第一次世界大戦のトルコ敗退など、様々な民族の侵入と敗退の繰り返しを見てきたのだ。
 気分転換に、ベリーダンス音楽のカセットをかけて、ユーフラテス沿いの道をひた走った。    
                                  (続く)

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