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  1. 2010/12/08 アラブと私 イラク3千キロの旅(40)


アラブと私
イラク3千キロの旅(40)

                               松 本 文 郎 
 
「郷に入らば郷に従え」で、コックの「ハッジ」から教えられたクルアーンの食事作法に、食事中はあまり喋らず早く食事を終えるとよいとあるのを聞いていたが、あえて、主に訊ねてみた。

「ナセルが夢見たアラブ社会の近代化が進めば、保守的な王国は別としても、共和制の国々では、欧米的なライフスタイルが浸透して、クルアーンの生活規範がゆらぐことはないのでしょうか」

「生活は、時代と共に変わってきましたからね。ムハンマドが啓示を受けたとするクルアーン自体、そのころの社会や生活の乱れを正そうとしたものでしょう。良し悪しは別に、若い世代は、欧米の文化に憧れ、その風潮に染まりはじめていますから、時代の流れには逆らえないと思います」

 戦前の日本家庭で、いかめしい顔つきの家長と一緒に黙々と食べていた家族の食事風景が戦後に一変したのも、アメリカ型のライフスタイルへの憧憬からで、親子の上下関係や旧い食事作法は、あっという間に変わり果てた。

「ハッジ」の忠告に従って、なるべく食べることに専念しようと、アハラムが取り分けてくれていたエイドの祝い料理「ローストチキン」の鶏肉・松の実・米を、指先でまとめながら口に運ぶ。

「鶏の皮が香ばしく焼けて、とても美味しいです」

 父親の右に座るアハラムがうれしそうに微笑み、左側のマリクもうなずいた。

「きのうはエイドの初日で、親類一同が集まり、テラスで食事を楽しみましたが、甥の母親や娘たちも手伝って料理をつくりました」

「私の妻は料理上手ですが、少女のころから母親の調理を見習って、身につけたようです」

「ジャミーラはこれからですが、アハラムの料理はもう妻の味を受け継いでいると、昨日も、義姉がほめていましたよ」

「料理の上手な主婦がいる家庭は幸せですね」

「ええ、食事前に唱える『ビスミラ』は、神への祈りですが、妻への感謝も重ねているつもりです」

「日本人は、食事前に『頂きます』、食後は『ご馳走さま』と言いますが、まったく同じ気持です」

 食事は、人間が生きてゆくための基本的な欲求だが、民族や宗教を超える普遍的な規範や作法があるようだ。

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「昨日の食事の集まりで、お二人のことを知った甥っ子が、ぜひ歓談させてくれと申しましたので、ここにご一緒させています」 

「日本人建築家にお会いするのは初めてですが、フミオさんといろいろ語り合えてとてもうれしいです」

「マリクはずいぶん熱心に、フミオさんと話していたね」

「ええ、これからの世界は情報化時代になるので、情報電気通信分野には強い関心をもっています。伯父さん。大阪万博のNTTパビリオンで公開されたワイヤレステレホンは、大評判だったそうですよ」

「クウエートの電気通信近代化のプロジェクトが完成して始まる自動車電話サービスでは、機器を車外に持ち出せますが、肩に掛けるほどの重さと大きさです。いずれは、万博で試験的にサービスした小型軽量の携帯型が現れるでしょうけど」
 
 この調子では、食事中の会話がはずみそうで、クルアーンの食事作法が気になりはじめた。
 思い切って、そのことを主に訊ねた。

「気になさらないでください。私は、妻のようにクルアーンに忠実でありませんから、ご遠慮なく欧米式で食事と会話をお楽しみください」

「シュクラン(ありがとう)」と言ってから、私がローストチキンを食べきったのを見たアハラムはサービステーブルへ行き、大皿のカバブとドルマを新しい皿にとりわけてくれた。

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 レタスの葉にのせたカバブに三日月形に切ったレモンが添えてある。ドルマは、中身をくりぬいたナス(丸くて大きい)やトマトに詰め物をした煮物で、カバブに付け合せてある。

「日本でアラブ料理を食べたことのない私ですが、クウエートへ来てから、米などを詰めたローストチキンはホテルのパーティなどで食べましたし、単身赴任者が住むフラットのコックが、ときにはアラブ料理をつくります」

「フミオさん! 私も手伝った母の料理はお口に合いますか?」

「とても美味しくいただいています。私はアラブ料理にかなり馴染みましたが、仲間たちは日本的な料理にこだわっていて、ムスリムのパキスタン人コックを困らせています」

 伯父さんが欧米式でかまわない言ったからか、それまで会話を控えていたマリクが、
「料理は文化ですからね。異国の人がたやすくは馴染めないでしょう。好奇心の旺盛なフミオさんは特別ですよ」

「かもしれませんね。ハッジである彼は、働いていたクウエート駐在の商社幹部の家で奥さんから習ったのか、もどきの日本料理を食卓に並べますが、カバブやドグマなど自慢のアラブ料理を出すこともあります」

マリクは、食事前の熱心な話ぶりに戻った。

「パキスタン人のほとんどは敬虔なムスリムです。第二次大戦後、ムスリムの多住地域がインドから独立しました。信心深く勤勉なので、バグダットでも、コック、女中として働く夫婦は少なくありません。独立後間もなくカシミール地方の帰属をめぐり、第一次のインド・パキスタン戦争が起きました」

「一昨年のイラン国電気通信研究所の建築計画の技術指導でテヘランへ行く途上で、パキスタンの前例視察でラワルピンジに立ち寄ったとき、夜間戒厳令が布かれました。初めての体験で怖い想いをしましたが、アユブ・カーンの長い軍事政権への反政府運動が勃発したのです」

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「その年には、アユブ・カーン大統領の引退声明、アラブ・ゲリラによるイスラエルの飛行機襲撃と中東問題激化・国連緊急安保理事会開催のほか、スーダン・南イエメン・リビア・ソマリアなどでクーデターが相次ぎ、アラブ世界に不穏な空気が充満していました」
 この調子では、アラブをめぐる国際政治問題の話が際限なくつづきそうだ。

「マリク。難しい話は食事の後でしませんか」

「どうもすみません。また<ブンヤ>気分が出てしまいました」

 さっそく話題を変えて、アラブ料理と米のことをアハラムに訊ねることにする。
「アハラムに教えてもらいたいけど、アラブ料理で米が使われのはローストチキンやドルマのほかに、どんなのものがあるの?」

「イラクの家庭料理のマクルーバもそうですよ。手間はかかりますがとても美味しいです。長ったらしいレシピですが、お知りになりたいですか?」

 
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酒井啓子著『イラクは食べる・日常と革命』にその記述があるので、短縮・転記させていただく。

 ・大きいナスを輪切りにして水に晒し、
  両面を油で焼く。
 ・薄切りにしたタマネギとピーマンを
  炒める。
 ・羊肉を柔らかくなるまで水で煮て
  (45分)、トマトソースを加えて
  さらに20分煮る。
 ・鍋に油を入れ、薄切りトマトを炒め、
  その上に炒めておいたタマネギ・
  ピーマンを敷く。
 ・その上にナスを敷き、羊肉をのせて、アラブ風スパイスを振り、さらに米を敷き、
  肉汁をかけて30分ほど炊く。
 ・十分炊けたか確認し、鍋に大皿を逆さにかぶせてひっくり返し、鍋底の野菜が
  上にくるようにして、出来上がり。

 アラブ風のスパイスは、黒コショウ、シナモン、オールスパイス、カルダモン、クローブ、ナツメグ、ショウガ、干したバラの花弁を混ぜ合わせたものである。

「レシピからのイメージでは、ケーキのように、野菜・米・肉が層をなし、味はおそらく、日本の炊き込みごはんのようですね」

「家族みんなが大好きで、母の得意料理の一つです。ねえ、パパ」 

 料理上手な主婦たちがつくる品々を家族や親族一同が集まってにぎやかに食べて談笑する断食月の食事風景は、なんだか、少年の私が田舎で体験した、盆・正月や冠婚葬祭の集まりに似ている。

 普段あちこちにちらばっている親族や知人らが集まって再会し、一緒に食事する喜びと楽しさは、人間に普遍的なものにちがいない。

 半日の断食で生じる軽い飢餓感から開放されて味わう最初の食事イフタールに、普段よりこころをこめた『ビスミラ』を唱える主は、クルアーンに従うというより、その信奉者である妻の美味な料理への感謝を表していると、よく分かった。

 世界中のイスラム社会で毎年おこなわれているラマダーンの断食は、日常生活へのアクセントで、人びとを活性化し、社交的にしているようだ。                 

                                                                     (続く)


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