浦安ふれあい公園、2014年の春



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2014/04/15 19:24 2014/04/15 19:24

「文ちゃんの浦安残日録」 (Ⅰ―33) 
  
  邦楽演奏会と私                            
2011年12月27日()

 

 年の瀬の迫るなか、500号記念「邦楽の友メールマガジン@コンサート」を紀尾井

小ホールで聴いた。第1部「日本舞踊と邦楽演奏」と第2部「清元浄瑠璃と唄物の共演」の4時間余の長い舞台鑑賞は、「若鶴会」主宰若宮千世鶴こと吉井優子さんのご招待。

 浦安・高洲の特別養護老人ホーム「愛光園」の訪問ボランティアの「江戸の華」に、黒一点で加ったご縁で始めた端唄の師匠である。

 第1部で端唄「薄墨」「文弥くずし」の三味線を若宮千世鶴の名で弾かれた。唄の若宮千世佳奈の「薄墨」の出だしにトップバッターの硬さを感じたが、「文弥くずし」では、伸びやかなよい歌唱となり、「江戸の華」の訪問演奏会で唄ってみたくなった。

 第2部では長唄「巽八景」の三味線を、タテ杵屋栄富次・ワキ吉井優子で弾かれたが、

よく息の合った演奏だった。唄の男性はかなりよくうたわれたが、どこか清元のような感じを受けた。持ち前の声のよさに芯(強靭さ)が加わればとは、所詮、素人の感想である。この方は、小唄二題の「宵の謎」「すっぽかし」を春日豊花遊の名で唄われたが、バイブレーションのある声もぴったしで、長年のお座敷“修行?”の費用も少なくなかろうと拝察した。

 端唄「紀伊の国」を達者に踊った若柳勒芳は、生田流筝曲「恋心三題 乱れ髪・また君に恋してる・夢一夜」でも、恋する女の情念の様ざまを、見事な振り付けで表現した。

 杵屋正邦作曲の現代邦楽「去来」の三味線を弾いた竹内恵子さん、山田流筝曲「四季の曲」(八橋検校 作曲)の山本七重さんは、それぞれの美しい三味線と唄の音色で見事な演奏をされ、たいへん魅力的だった。

 山田流筝曲といえば、原田東龍作曲の『早春浅間山』は、拙詩を気に入られて一気に曲を書き下ろされたという男声合唱付き14分の作品だが、筝・十六弦・尺八の合奏と浦安男声有志が共演した、「芝abcホール」での初演が懐かしい。

 そのほかの出演者には、いわゆる、“ダンナ芸”や“お嬢さん芸”と感じられるものもあったが、ご自身が楽しまれたり、一生懸命だったりする様子をほほ笑ましく拝見した。

 春日の「小唄」を2年ばかり、吉住の「長唄」を20年ほど稽古した20数年前に、

伝統芸能「邦楽」の世界に足を踏み入れる人の減少は著しかった。小唄好きの上司命令で始めたものの稽古が続かない会社員や、高齢女性のお弟子さんがお嬢さんやお孫さん

を引き込むなどの、あれこれを見てきた。

 第1部トリの清元「花がたみ」は、それなりの演奏でも鼓の響きがも一つだったが、

第2部トリの清元「申 酉」は、なかなかの演奏だった。三味線の清元紫葉は、両方の部の出ずっぱりで、邦楽界ナンバーワンと称せられる美貌と毅然とした弾き姿に見とれていた。そういえば、吉住家元の奥方も、たいへん魅力的な美人だった。

 この演奏会に先立ち、第3回端唄「若鶴会」が師匠宅に近い「舞浜ビースティーレ」

で開かれた。新入りの私はトップバッターで『京の四季』を、中ほどで、『えんかいな』

『潮来節』を師匠の三味線で唄った。いろいろなイベントも開かれるレストランが会場で、兄弟子の野口さんが設えた緋毛氈の舞台を、「愛好園」訪問の「歌の花束」の仲間や

知人、妻らに聴いてもらった。

 昼間の住宅地に鳴った邦楽の音は、近所住民の耳にどのように響いたのだろうか。


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2011/12/29 17:33 2011/12/29 17:33

「文ちゃんの浦安残日録」 (Ⅰ―31)  
              
                                                                                                           2011年12月18日()

 

 久しぶりに、東 誠三のピアノ・リサイタルを聴いた。彼は、広大付属福山校第1期の同期仲間で、妻のお千代共々に親しい東 陽子さんの子息である。

 1962年生まれの彼が3歳のころ、絶対音感をもっているのに陽子さんは気づいた。

東京音楽大学付属校から東京音大に進み、1983年、第52回日本音楽コンクールで

第1位となる。フランス政府給付留学生としてパリ国立高等音楽院に留学し、日本国際、

モントリオール、カサドシュなど、多くの国際コンクールに入賞し、ヨーロッパ、北米

などでリサイタル・オーケストラ共演をして、真摯な演奏技術の鍛錬と豊かな音楽的感性から生まれる流麗洒脱な音色と生命力あふれるダイナミズムで、本格派ピアニストとしての国内外の高い評価を常に得ている。

 満席の紀尾井ホールでのプログラムは、“リスト・イヤー生誕200年”のリスト尽くしだった。アンコールの『ラ・カンパネッラ』『コンソレーション第3番』など三曲もだ。

 これまでのリサイタルではショパンの曲を中心に、流麗洒脱な演奏を多く聴いてきたが、芸大で教えるようになってからの彼が、自由奔放な演奏を抑制しているかのようなもどかしさを感じていた。ところが、久しぶりに聴いた演奏はまったく文句なしのすばらしさだった。リストの曲想を、彼になりきったかのように見事に弾いたのである。

 リストの人間性豊かでドラマティックな曲の数々を、繊細さと大胆さをない混ぜにしたタッチでかき鳴らし、私のこころの琴線を激しく共鳴させたのである。その音楽感性にリストとの親近性を強く感じたが、50歳を目前にした東 誠三は、いよいよ円熟の境地に入ったのであろう。

 プログラム収録の「円熟の時間(とき)を刻むリスト~東 誠三ピアノ・リサイタル2011に寄せて」を書いた池田卓夫は、福島県三春町で、ベートーベンのソナタ全曲演奏を進めている東 誠三が、東日本大震災被災地への強い想いを抱き、ブタベストの大洪水後のチャリティー演奏会を組織したり、ボンのベートーベン碑建立に多額の寄付をしたリストの“超絶技巧”の“技”よりも“精神”に目を向けていると述べている。

 閉幕後のロビーに、付属の同期と一年後輩のお千代の仲間など15人余の顔もあった。

誠三さんの指導を芸大大学院で受けている新進気鋭のピアニスト岸 美奈子さんの姿を見つけて、傍にいた陽子さんに紹介する。美奈子さんは、日本建築学会男声合唱団の伴奏ピアニストで、5年前の創立20周年記念演奏会の南伊豆の合宿練習で知己を得、来年3月の25周年記念コンサートもご一緒するが、リストの曲を独奏するステージもあり、団員一同・来聴者からおおいに期待されている。

 誠三さんは、精緻なピアノ演奏と対をなすようなエッセイの名手でもある。

 プログラムに記される彼の文章は、曲目の説明の域を超え、作曲者への想いや演奏への意気込みが伸びやかな筆致で書かれおり、いつも感心させられている。

 ピアニストのエッセイといえば、元職場・NTT建築総合研究所の仕事仲間の娘さんの

宮谷理香さんもすばらしい書き手。第13回ショパン国際コンクール第5位に入賞して以来、幅広い音楽活動で大活躍だが、自然体で知性があふれているのは、音楽性だけではなく、著書『理香りんのおじゃまします!』のウイットに富んだ文章でも目覚しい。

 こうしたピアニストとの親しい出会いに感謝している、浦安の残日である。



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2011/12/28 17:53 2011/12/28 17:53

「文ちゃんの浦安残日録」 (Ⅰ―30)                  
                                                                                                               2011年10月ⅹ日()

 


“動天驚地”の
311東日本大地震でわが浦安市が液状化の被害を受け、親戚・仲間・知人から問い合わせが殺到したのをきっかけに書き始めた「残日録」も、三十回だ。

初めの数回は、わが家の被災状況をお知らせする手立てとしたが、長期連載『アラブと私』で、国内外に生じた事件のトピックスを頻繁に挿入した“道草”で、「イラク3千キロの旅」の進行を妨げていたことへの改善策でもあった。

平均寿命も間近くなった喜寿老人として、今の日常身辺や過ぎた日々の記述の場としてのカテゴリー新設を、編集担当のM女史にお願いして実現した。感謝!

ただ、日記を付けるのは(大学生時代は別として)まさに“三日坊主”だったから、タイトルは「日記」ではなく「残日録」とし、記述の頻度も週に二三回と考えていたが、諸事多忙のなかで、次第に間遠くなっていた。

また、毎回、読切りスタイルを旨としたのが、帰福した故郷への想いが募り、“続く”を連発したまま、今回を迎えた。

その福山紀行から五ヶ月近くが経ち、その間に思いついたトピックスは、時間の経過ともに鮮度が落ちてしまった。いずれは書くことになろうが、テーマの羅列にとどめ、次回からは、より時宜を得たトピックスを書き連ねてゆこう。

        浦安男声合唱団特別演奏会に向けて

        菅総理の功罪と日本政治の混迷

        債務超過のアメリカとオバマの苦悩

        長唄の姉弟子遠藤順子さんと「江戸の華」

        こう着状態が懸念される中東情勢

        NTT一八会」の仲間たち

        「三二会」恒例の暑気払い

        小松左京氏の逝去と大阪万博の思い出

        ヒロシマ原爆紀と脱原発への決意

        イギリスの暴動と世界の市民デモ

        渡辺 謙のアメリカ・ルポを観て

        小泉芳子さんの伝記『黄海道の涙』

        「日比谷彩友会展」でのあれこれ

        情報通信国際交流会と田代譲次氏逝去

        台風襲来に被災の「ふれあいの森公園」

        ロシア大使館での「日露親善コンサート」

        「秋の小さな音楽会」と建築学会合唱団

        「三二会」の東北・裏磐梯紅葉狩り旅行

        高山博教授の「ヨーロッパの成立」聴講

        特別演奏会(1015日)は盛況裡に開催

        カダフィー大佐の末路とアサド大統領



  ブログ掲載の「残日録」は「日記」とは異なり、ハダカの自分を書くわけではないが、肩に力を入れないで、残日の時代・社会と日常身辺への想いを、素直に記述しよう。





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歌川広重の名所江戸百景「堀江ねこざね」。
境川の左手が堀江、右手が猫実で森の描かれている辺りが豊受神社。


2011/11/04 10:28 2011/11/04 10:28


「文ちゃんの浦安残日録」 (Ⅰ―11)             
 

201141X日(X



  T
さんから久しぶりの封書が届いた。Tさんは、日本建築学会樂友会男声合唱団の名代表幹事だ。団長名の文書で、創立25年記念演奏会への参加のお誘い。20周年でも誘われ、メインプログラムの『水のいのち』に惹かれて初参加した。そのときの勧誘は、元職場の先輩で団員のIさんからで、一年間、田町駅に近い学会本部の建築会館ホールに通い、初めて出会った先輩建築家のみなさんと楽しく練習し、知遇を得た。

特別参加を機に入団を勧められたが、古希を越えた身には、浦安男声合唱団で精一杯だったのでお断りした。

その後は、「東京都シルバー男声合唱コンクール」のための合宿や出場(「松本文郎のブログ」に紀行画文掲載)、毎年秋の学友会音楽会のご招待、わが合唱団の定期演奏会へのご来聴などで交流を深めてきた。

 今回は、“オールドボーイ”の合唱定番曲『沙羅』全曲と『月光とピエロ』から3曲

のほか、オペラ合唱2曲のプログラム。 好きな曲ばかりで参加しないわけにゆかない。

指揮者Fさんの提案だろうが、風景や情景が目に浮かぶ詩曲の選出。建築家がみんな絵が上手とは限らないが、ヨーロッパ画行展覧会の作品群はすばらしかった。

清水重道作詩、信時 潔作曲の名曲『沙羅』は、2000年の浦安男声合唱団第2回海外公演の国立台南師範学院雅音楼の第一ステージで唄い、満席の聴衆の喝采を浴びた。

8つの小曲からなる合唱組曲で、「丹澤」「沙羅」の卓越した自然描写、「あづまやの」「占ふと」の女心の情緒纏綿、終曲「ゆめ」の諦観を感じさせる静寂と孤独な安らぎの漂う詩曲のすばらしさは、筆舌に尽くしがたい。日々、描き/唄い/詩文を書いて多忙を極める喜寿の私に、「お歳を考えなさいネ!」といつも宣うお千代に、「30周年はムリだから、やりなさいヨ」と背中を押された。

 Fさんに電話すると喜んでくださり、間もなく、譜面と参考演奏音源のCDが届いた。

 翌朝、MDに移した音源と一緒に散歩に出た。久しぶりに聴く『沙羅』の一つひとつの歌を口づさみながら、見明川の遊歩道から「ふれあいの森公園」へゆっくり歩いた。

トップテナー・パートの高音部もまだ、それほどキツクはないようでホッとする。

遊歩道の並木はすっかり葉桜となり、伝平橋から稚鮎を釣り上げる人の数も増えた。

公園の木々の彩り豊かな新緑がさわやかな朝の風にゆれている。気持のいい季節だ。

「花まつり」の日から三日通い、公園の大芝生から満開の桜並木を描いた『被災地浦安の春』と題した20号の絵は、日比谷彩友会の春季絵画研究会での講師深澤孝哉先生に、過分のお言葉を戴いた。6月の「みなづき会展」に出そうかと思案している。

 ようやく平静に戻った浦安で美しい花々・新緑を愛でていながら、大震災の遺体捜索と被災者の苦渋に満ちた生活や、中東革命のうねりの中の強権的独裁者による民衆虐殺の報道に、胸がふさがる。

 菅政権が立ち上げた首相諮問機関「復興構想会議」は、建築家安藤忠雄を議長代理の一人にしたり、梅原 猛、玄侑宗久、内館牧子など親しみを感じる顔ぶれがまじるが、

官僚出身者がいないので、青写真の実行段階で中央省庁がどう出るかなどで、はやくも

場外では百家争鳴の態だ。安藤さんの阪神淡路大震災後の地道な活動に好感をもつ者として、リーマンショック後の経済復興構想と合わせた実効性のある提案を期待したい。



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2011/04/19 09:45 2011/04/19 09:45

「文ちゃんの浦安残日録」 (Ⅰ―10)        
                                           
 
2011年4月8日(金)

 

 五時半起床。ルーチンのストレッチを済ませ、朝の散歩コースへ。テラスハウス住宅地内の中央公園の“クジラの背”(幅20m・長さ50m)の桜はまだ二、三分咲きだが、十日に予定している住民有志の恒例のお花見には、七、八分の見ごろとなるだろう。

 親しみをこめて名づけた“クジラの背”の周囲をケヤキと桜が入り交じってとり囲む。その外側にも高い木立が並び、桜は、ケヤキと背を競うように枝を天に伸ばしている。大きな楕円形の“背”の北側を覆う色鮮やかなコケの絨毯が、踏む足ウラに心地よい。

 林を抜けて見明川沿いの市道に出る。伝平橋の欄干に数人の釣人が竿を上げ下げしている。この東京湾と江戸川を結ぶバイパスを稚鮎が遡上するのは、両岸の桜並木が葉桜になる頃の筈だが、今年は大地震に驚いて早まったのだろうか。

 両岸の自動車道と遊歩道に沿う桜並木も、まだ二、三分だ。橋を渡った舞浜三丁目の戸建住宅地の液状化現象の被害は大きく、上下水道・ガスの復旧工事は長引くと聞く。

傾斜した家屋も少なくないようだから、住まいから眺める桜の満開を心待ちする気分ではなかろうと想いながら歩く。

伝平橋の川上の歩道橋を渡ってわが住宅地側に戻り、「ふれあいの森公園」の広い芝生を歩くと、一角に立つ大きな桜が見ごろの美しい姿で立っている。ビオトープを回り、いつも座るベンチから舞浜三丁目の家並みを一望していて、ふと、「被災地浦安の春」と題した絵を、十五日の「日比谷彩友会」の春の研究集会に出そうと思いつく。

二、三日通って描けば、両岸の桜並木も満開となろう。画面に入れる家並みには傾いた家屋も混じるが、一日も早い修復を祈りながら描かしてもらおう。月末には、桜並木も葉桜となり、稚鮎の大群が遡上する浦安は春爛漫。 

 その日の予定の備忘で見るカレンダーに、今日は「花まつり」とあった。お釈迦さんの生誕を祝う仏教行事で、「灌仏会」「降誕会」「仏生会」などと呼ばれる。草花で飾った花御堂の中の甘茶の灌仏桶に在す釈迦像に、柄杓で甘茶をかける。「花まつり」の名称は、生誕の日とされる四月八日に関東以西の桜が満開になること、甘茶は、釈迦誕生の折に九頭の竜が天から清浄な水を産湯として注いだ伝説に由来するという。新妻のお千代と、六畳一間・共同炊事場・共同便所の社宅に近い新井薬師に詣でて、一緒に甘茶をかけた日も遠くなった。

 桜の花といえば、本居宣長の“敷島の大和心を人問わば、朝日に匂ふ山桜かな”の歌

がある。宣長は商家生れだが、儒学を学び、医業を開業した。加茂真淵の門人となって『古事記伝』の神代巻を完成。紀州藩主に国学を講じ、真淵の古道学を継承して、国学を大成させた。

 宣長の国学は、万世一系の天皇が治める神国日本の若者たちが、“特攻機”で出陣したときの精神的支柱とする向きもあるが、果たしてそうであろうか。天皇を奉じた国粋的な国学者らの主張はともかく、死地に向かう若い兵士らは、奥山に立つ一本の山桜が

朝日に輝き匂うさまを脳裏に、気高い心で逝ったのではないか。天皇のためというより、愛する家族のために国を守る潔さで出陣したにちがいない。

宣長は、万葉集の歌にみる”万物に触れて感動する魂”を大和心とし、山桜は日本人の心を象徴するものとした。若者たちは、その想いを胸に抱いて散った、と考える。



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2011/04/16 10:32 2011/04/16 10:32

「文ちゃんの浦安残日録」 (Ⅰ―9)                   
                                                         
2011年4月X日(X)

 

 東日本大地震を機に「残日録」を書き始めて、ほんとうによかったと思う。

T新聞社のご好意で、「松本文郎のブログ」の新設カテゴリーとして連載されることになったが、ブログに長期連載中の『アラブと私』とうまく連携して書けそうだ。

あの震度6弱の最初の揺れを感じたのは、この“創作ノンフィクション”の原稿執筆中の書斎だが、これをを書くきっかけは、同じ住宅地に住む日本ジャーナリスト会議(JCJ)会員のYさんだった。月刊「JCJ広告支部ニュース」の編集委員で、「電通」の元労組委員長の彼とは、見明川住宅管理組合の長期修繕計画委員会で出会った。

いずれはと考えていた、一九七○年からの四年間、家族ぐるみで在住したアラブへの想いを書きとめる絶好のチャンスを与えられたのである。あれからもう三年経った。

思い起こせば、二○○八年三月十九日の朝日新聞「天声人語」で揶揄された引退目前の元ブッシュ大統領の替え歌「思い出のグリーングラス」の引用が、書き出しだった。 ♪古いホワイトハウスを出て、気ままな暮らしに戻る。平壌の心配をしなくていい、

もうすぐ、わが家の芝に帰る・・・と記者団との夕食会で調子はずれに唄ったそうだ。

大量破壊兵器を言いがかりにした、あの意図的で無謀なイラク侵攻から五年になろうとしていた。侵攻の理由が事実無根とはっきりした今だが、国内外に四百万人もの難民が生じたイラクにとって、この戦争はいったい何だったのか。

『アラブと私』の執筆の動機は、個人的体験の記録だけではなく、911が発端とされたアフガン・イラク戦争が世界平和を脅かしている危惧からだった。「イラク三千キロの旅」を序章とする本論は、この旅の後で三年過ごしたクウエートの仕事と生活を通じて経験したアラブと、今日の激動のアラブを往来しながら、西洋近代の基盤のキリスト教文明と人類社会の未来を左右するイスラム教文明との共存・融和を希求するものにしたいと考えている。

 大地震発生時に書いていた『アラブと私』では、イード(断食月)の休暇に、イラク人土木技術者ユーセフとバスラ・バグダッド・モースルを往復した「イラク三千キロの旅」のバグダッドで、とあるホームパーティに招かれている記述に、チュニジア政変に触発された“中東市民革命”の連鎖のうねりと、五十年前のイラク軍事革命のかかわりを道草的に書き加えていたところだった。

 エジプトとリビアの長期独裁政権を支配した元軍人二人のうち、エジプトのムバラク元大統領はギブアップしたが、リビアのカダフィ大佐はしぶとく抗戦しているところに未曾有の大地震が起こり、それまでの連日、NHK「おはよう世界」で報じられていた“中東市民革命”の推移が、福島第一原発事故の非常事態経過に取って代わったのだ。

 四十年前のバグダッド訪問の場面の途中で、現在のアラブ諸国に沸き起こった革命の様子を『アラブと私』に書くのは文脈的に限度があり、さらに、東日本大地震の状況の

記述を挿入するのはかなりムリなこと。かねてから温めていた『文ちゃんの浦安残日録』に着手するときが来たのだ。

 これからの『アラブと私』は、「イラク三千キロの旅」を順調に進めて序章を終え、

早く本論執筆の日を迎えたいと願う。激動のアラブと混迷の福島原発事故処理の状況は、当面、『文ちゃんの浦安残日録』で交互に取り上げることとしたい。




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ジャスミンの花


2011/04/13 10:29 2011/04/13 10:29


「文ちゃんの浦安残日録」 (Ⅰ―7)                  

                                                        
2011年4月1日(金)

 

エイプリルフールの今日、ボランティア「歌の花束」の四月訪問コンサートが開けるとのうれしい知らせがあった。特別養護老人ホーム「愛光園」の建物が震災に遭って、高齢居住者の皆さんが避難生活を余儀なくされて三月は中止、四月の目途もたたないでいたところへの朗報だった。

 百一歳の義母が入居されているS女史主宰の「歌の花束」は3年目で、ピアニストのEさんと男女数名のヴォーカルが、入居者に懐かしい歌の数々を十曲ほど唱和する。

毎回の訪問を待ち遠く想ってくださる高齢の皆さんが、大きな声を張り上げて唄われる笑顔に、歌を“出前する”私たちもうれしくなる。

 プログラムには二、三のリクエスト・ソロの歌もあり、今回は『帰れソレントへ』を唄わせていただく私は、知人女性からパヴァロッティの『Best of  Italian  Songs 』のCDを借りて猛練習中。本番までに一度、ピアノ教室を開いているEさん宅で伴奏してもらう予定だ。喜寿老人はパヴァロッティならぬ“ばばっち爺”だが、昨秋、『恋人よ』をリクエストしてくださった八十三歳の可愛らしい女性を泣かせればいいのだが・・・。

 S女史からは、さらにうれしいメールがきた。

 初めて聞く話で、「歌の花束」の名称が昭和十二年の国民歌謡『春の唄』の歌詞一番の出だし“ラララ赤い花束車に積んで・・・”に由来するという。この歌は、五十数年後の阪神淡路大震災の被災者への励ましとなり、震災から二年経って、作詞者喜志邦三の歌碑が詩人所縁の地西宮に建立されたそうだ。

 さらに、愛光園復興を励ます歌として四月の曲目に入れたいので、追加の五番の詞を書くようにとのこと。私の詩に曲がつけられた歌は、NTT社歌『日々新しく』や浦安市合唱連盟の創立二十周年記念歌『みんなの歌』、邦楽山田流歌曲(合唱付)『早春浅間山』等数曲あるが、うれしいリクエストなので、“歌の花束”“愛”“光”“園”などの言葉を入れた詞を即興で書き、返信メールで届けた。

 歌が、聴く人・唄う人の双方に力を与え、いのちを掻き立てるとは、古今東西に遍く

認められてき、近頃、私と同じ食道がん手術を受けて再生した小澤征爾さんや桑田佳祐さんも、人生の大きな節目に立って、歌がもつ力の偉大さ、不思議さを改めて深く感じたと述懐しいる。

 愛光園を訪問するグループに邦楽仲間の「江戸の華」がある。昨年秋、数団体が参加した懇親会で、邦楽に傾倒されているYさんとのうれしい出会で、二十年ほど親しみ、十年ばかり遠ざかっていた長唄への想いが一気に蘇った。

 Yさんは、若宮流端歌・小唄の師範名取で、長唄も大好きと仰る。メールを交換するうちに、「江戸の華」の訪問の折にご一緒しませんかとお誘いをいただいた。年金暮らしを機に吉住小桃次師匠にお暇を告げた後、うたう機会はないものと断念していた私は、“ヤッター”と、パソコンに向かって叫んだ。

“渡りに舟”と、『都鳥』『安宅の松』の音源と本のコピーを戴いて、久しぶりに自習を始めたばかりだ。Yさんは、北千住の富本節師匠のお宅で大地震の激しい揺れに遭われたが、師匠のご家族の心遣いで無事に帰宅した由。自宅は門扉が傾いただけで済んだ。11日に初めてお宅を訪ねて三味線と合せる。どんな出来になるか、今からドキドキ。



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2011/04/08 13:34 2011/04/08 13:34


「文ちゃんの浦安残日録」 (Ⅰ―6)                  
 
                                         2011年3月3ⅹ日(ⅹ)

 

 五時に目覚めていつもの自己流ストレッチ。十八年前の食道がん手術後の入院生活で

始めたヨーガの3基本ポーズに、いろんなポーズを加えて二十分ほどに編成したものだ。体がほぐれて血行がよくなったところで、朝の散歩に出る。

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 雲ひとつない快晴だが、風はまだ冷たい。四百八十戸の鉄筋コンクリート造・テラスハウス住宅地には、欅・桜などの樹木三万余本(管理組合資産台帳記載)が立ち、住棟の間の共有地に芝生と潅木が植え込まれている。構内道路や駐車場の一部に液状化現象による隆起陥没が生じたほか無事なのは、植物たちが張っている根っこのお陰だろう。


 我が家に近い大島桜は五分咲きで、花の蜜を吸うヒヨドリが枝にゆれている。二階屋の倍以上も高い欅が天にさしのべる枝に、新芽が膨らみはじめている。住宅地外周道路の反対側の戸建木造住宅地を歩き、家が傾いたK君宅の前を過ぎる。この辺りと見明川を挟んだ舞浜三丁目に、傾いた家屋が少なくないと聞く。上下水道の復旧もまだらしい。

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家から歩いて三分の「ふれあいの森公園」のビオトープ(動植物の生息のために造成された小規模な空間。多くに流れ・池あり)に行くと、池の周辺に立つ枝垂れ柳の浅緑の枝が風になびいている。

 古代赤米の切株が残る小さな田の浅い水底で、ニホンアカガエルのお玉杓子の群れが、まだ眠っているのか身動き一つしない。この蛙は、千葉県のレッドデータブックにある重要保護動物の1つで、公園の運営管理を任されている「ふれあいの森公園を育む会」のボランティアのみなさんが大事に保護観察している。

 この田圃で、近隣幼稚園・小学校の子供たちが父兄と一緒に、田植・稲刈りをして、赤米のお握りを食べるのを楽しむのは、毎年恒例のイベントになった。ボランティアと子供たちで昨夏に作った五体の案山子は、二枚の田圃の畦に立ちっぱなしで居る。

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 ビオトープ脇のグリーンハウス内の正面壁に、公園オープンの際に寄贈した私の作品『ビオトープの絵と詩』の大きな額が飾られている。地震翌日の夕方、落下してないかと見に行くと、無事に架かっていてホッとする。

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 その折りしも、公園横のバス道路沿いの見明川対岸の空で、夕照の光のページェントが始り、被災した舞浜三丁目の家並みを空から包んだ。見る間に移ろいゆく彩りに染められた雲の三三、五五の編隊は、敦煌の洞窟の飛天さながらに、さまざまな楽器を奏で、舞い踊る天女の群れと化した。

それと同じ情景を、食道がんから再生して訪れたレインボーブリッジの空に見て描いた絵と詩『お台場の飛天』は、十年前の第二回「文ちゃんの画文展」で好評だった。

 大震災の被災者を励まし支えようと、日本で活動してきた世界のアーティストたちが音楽・絵画・詩文のメッセージを届けてくれている。 

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 数万年前の人類が洞窟に描いた動物・魚の狩りの絵、暗闇の洞窟の外で咆哮する猛獣への恐怖と地震・雷・山火事・大風の猛威に対する祈祷の歌、超越的存在に捧げた言葉・文字などの全ては、平穏な暮らを願う人間の祈りのメッセージの起源だった。

 自然災害で私たちが支援した国々の子供たちの絵や若者らの歌声が、被災地の人々の明るい笑顔を誘っているのが嬉しい。唄い、描き、詩文を書く私の日々のメッセージが、明日への希望と祈りに満ちたものとなるように努めたい。



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2011/03/31 14:55 2011/03/31 14:55

「文ちゃんの浦安残日録」 (Ⅰ―5)     

                                        
 201133ⅹ日(ⅹ)

 

 安全神話を錦の御旗に原発建設を推進した東京電力、カダフィ軍への軍事介入の正当性を真っ先に主張したサルコジ大統領とカダフィ大佐との過去のように、“一寸先は闇”の昨今である。

そのサルコジさん訪日の真意をめぐるマスコミのとりざたが賑やかである。なにしろ、電力総需要の80%を原発に依存するフランスは、原子力産業の王国でもある。

スリーマイルやチェルノブイリの事故処理で蓄積した専門技術を生かし事故沈静化に一役を担って、自国や欧米の安全性論議に主導的立場を確立する狙いや、世界の原子力産業のトップランナーだったフランスと日本との安全基準・世界標準化の主導権争いに決着をつける意図などが云々されているが、その論議は信頼できる専門家に任せよう。

世界の目が経済・技術大国日本の未曾有の原発事故の危機管理と処理体制に注がれて

いる今、官僚的メンツにこだわることなく、フランスやアメリカが国際協力で派遣する放射能汚染除去の専門部隊と一体で、沈静化作業に迅速に対処することだ。

 一方で、地震・台風など自然災害に“七転八起”のこの国では、鴨長明の「方丈記」(1212年)に大火・大風・地震・飢饉の悲惨さが記され、人生の無常が説かれている。

 現代文明を築いた西洋近代では、「自然」を、人間が征服し、利用するものと考えたが、彼らが未開とみたアジア地域では、“すべては自然の摂理”と、柔軟に対処しながら立ち直ってきた。民衆は、すべもなく傍観したわけではなく、治山治水は、治安と共に政治統治者の要件とみなしてきたのである。

 東日本大地震の被害状況には、原発立地の選定、地震・津波の規模想定で自然力の巨大さを甘くみた点もありそうだ。八百数十年前の津波の痕跡を調べてシミュレーション画像を作り、津波常襲地域の人びとに警告していた専門学者がいたが、住民や行政機関で耳をかす人が少なかったのだろうか。

現代文明は、科学技術の進歩に支えられ、私たちの生活はその恩恵に浴しているが、

「天災」と「人災」が複合した今回の地震被災の復興は、“想定外”の言い逃れを脱して、深刻な事態への謙虚な反省から始めたいものだ。

 日本人は古からこうした災難に遭うたびに、“神も仏もあるものか”と嘆き、鴨長明の無常観に身をゆだねてきたが、釈迦が遺したとされる「色即是空」の「無常」は、万物が生滅流転して常住ではないのを意味し、“神も仏もない”量子力学的な宇宙観を言い表していたのではないか。湯川秀樹博士の中間子理論のヒントが般若心経にあったとされるのは尤もである。

 「般若心経」を唐から将来した空海が果たして、「色即是空」に量子力学的な宇宙観をみていたかどうか分からないが、彼の“即身成仏”とは、死んで浄土をめざす無常観とは異なるものではないか。真言密教の大家、西行もまた即身成仏を究極の境地として、かねての願い通り、如月の花の下で死んだ。

 生身の人間にとって不条理としか思えない天災・人災(戦争も)で死に直面すると、絶望的な喪失感でウツに陥りがちだが、被災者のメンタルケアを重視するボランティア医師・看護士の活躍があるのは心強い。笑顔と復興への意欲が戻りつつある被災地報道に、見ている私たちの方が力をもらっている。 



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2011/03/31 14:47 2011/03/31 14:47


「文ちゃんの浦安残日録」 (Ⅰ- 3)  
                
 

                                                                                                                 2011
32X(X)

 

居住区域には排水規制の不自由があるが、日常生活は、徐々に平常に向かっている。

喜寿残日に、音楽(唄い)/絵画(描き)/文芸(詩文を書く)を楽しんでいる私の予定表は、さまざまな変更を余儀なくされた。

<音楽>では、練習会場の公民館が避難場所に、第10回「浦安男声合唱団定期演奏会」(四月半ば)を開催する市文化会館が防災本部の拠点になったりで、演奏会どころか、これから毎週の練習さえ目途が立たない。今年中の開催は難しいと思われる。昨年暮れの第11回「IKSPIARI第九」がきっかけの「合唱団 LICHIT」の結団式と初回の練習会場も閉鎖され、五月まではムリのようだ。

鑑賞を楽しみにしていたコンサートでは、敬愛する山陽地方出身のソプラノ歌手・

横山恵子さんがプリマの『アイーダ』と、「浦男」常任指揮者の仁階堂 孝先生指揮の

「アンサンブルSZIA 15周年記念コンサート」の中止連絡があった。残念だろうが、被災地の惨状と不自由な避難生活に想いを馳せた苦渋の決断であろう。

 ボランティア仲間と月に一回出前する、高洲地区の特別養護老人ホーム・愛光園への三月十七日の訪問コンサートも、停電と施設の一部損壊で仮移住の破目となって中止。最高百歳の高齢入居者の不安な気持ちとヘルパーさんたちのご苦労を想い、みなさんが好きな懐かしい歌を一緒に唄い、リクエスト曲を聴いてくださる日が、一日も早く来るようにと祈る。

<絵画>では、「日比谷彩友会展」の作品講評と春秋の絵画研究会の講師をお願いしている白日会副会長の深澤孝哉先生に、「白日会展」(新国立美術館・三月十八日)をご案内いただく予定だった。余震を危ぶみ中止に踏み切ったが、案の定、当日は休館となる。

代替に二十日の案内を受けたが、連載『アラブと私』の原稿締切日で参加できなかった。

 また、NHK「新日曜美術館」で中川一政展(日本橋高島屋・最終日三月二十一日)見て出掛けたくなったが、編集長に送信した原稿の訂正が生じて断念する。

 うれしい出会いもあった。銀座教会ギャラリーで一見した個展がすばらしくて記帳してから五年ぶりに、「野島朱美透明水彩展」の案内状が届き、池袋の小さなギャラリーへ最終日の午後、出向いた。国内外の風景が多い水彩作品の数々を久しぶりに拝見すると、四季折々の色彩のみならず空気までも見事に捉えた透明感溢れる画面に感銘した。

 自己紹介のよすがに持参した『文ちゃんの旅と暮らしの絵・ポストカード集』を見てもらい親しくお話しすると、自然の感じ方や描くときの心得えなどが驚くほど似ていて意気投合した。うれしい出会いを互いに歓び合った、大震災後初の至福の時間だった。

<文芸>では、地震勃発で執筆が遅れた今回の『アラブと私』は締切りに間に合った。

 前々回は、約五十年前のイラク軍事革命と共和国成立の執筆中チュニジア政変が勃発。前回、それに触発されて中東・北アフリカ諸国に波及しはじめた反体制勢力の市民民主革命をめざす巨きなうねりを書き、今回は、さらに道草的な記述をつづけている最中の東北関東大地震だった。40年前の体験に基づく創作ノンフィクションだが、歴史的ともいえる事件や災害をリアルタイムで記述しておきたい衝動は、抑えきれないものだ。

 ふと思い立ち、この『文ちゃんの浦安残日録』を書き始めた。高校時代に文芸部や

新聞部を創設したときの“初心”が、喜寿老人に蘇ってきたのかもしれない。



 

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泥に沈んで傾いてしまった浦安市富岡交番






2011/03/30 14:14 2011/03/30 14:14


文ちゃんの浦安残日録」 (Ⅰ-1)  
    
 
                
                                   2011320
日(日)

 

 

  まさに晴天の霹靂の東日本大地震だった。マグニチュードが8.8から 9.0に訂正されたほど、千年に一度くらいの未曾有の巨大地震という。建築家の私もビックリ仰天。

 そのとき私は、書斎のパソコンで、原稿締切りが数日後の『アラブと私』の原稿執筆二余念がなかった。

 ゆっくり始まったかなりの揺れで、正面の書棚の本が二、三冊落ちた。揺れはしだいに大きくなってきた。背面の書棚の上部には、重い大判の美術書がぎっしりと天井まで

積んである。一斉に頭上に雪崩れると危ない。私は、急いで廊下に飛び出した。

 リビングダイニングにいたお千代は、大事な食器戸棚の扉が開かないようけんめいに押し返している。私もいっしょになって戸棚全体を支えたが、かってない長くて大きい

地震動に、生まれて初めての恐怖を感じた。これは大変なことになるぞ!

 あれからはや十日が経った。

 わが浦安も被災地となった。小さな漁村の海を埋立てて拡張した街の海側半分の地区が液状化現象に見舞われたのだ。いたる所で道路や歩道の隆起陥没が生じて、泥水と砂が噴出して堆積した。私たちが住むテラスハウス住宅団地内の道路の一部も同じ状況だ。

 大きく揺れた住戸に損傷はまったくなかったが、ガス・水道はピタリと止まった。

 幸い電気はきており、テレビに映し出される巨大津波が襲う被災地の惨状から、終日、目が離せなかった。市内の海に近い19階建て高層マンションに住む娘からの電話で、16階の住戸内のほとんどの家具が転倒し、壁掛けの額の落下とペンダント照明の衝突で、家じゅうガラスの破片で足の踏む場所もないという。ガス・水道は遮断。

 渋谷幕張中学一年の孫遥大は幕張の校舎にいるはずだが、連絡がとれないという。

 会社員の婿ドノと息子健の安否は、それぞれのケイタイで、銀座と新宿のオフィスに無事との連絡があり、ひとまず安堵。娘は、3年前にバンコクから一緒に帰国した愛犬

トビーを連れて、わが家に緊急避難してきた。トイレが使えない高層住宅からの脱出だ。

 家に着くやいなや、人目のつかない庭の隅でガマンしていた小用を足す。娘は豪胆!

 十日間見つづけてきた、地震・津波・原発破損の三重の被害に苦悩する被災者の姿に、言葉もない。私たちの生活インフラ遮断による不便など、タカがしれている。

 地震・津波に被災した福島原発の危機的状況は予断を許さないが、最悪の事態回避に命がけで立ち向かっている全ての関係機関の方々の姿には、感動し、感謝している。

 地震から9日の昨日、つぶれた家の中から、80歳の祖母と孫の16歳男性が、奇跡的に発見・救助された。一万数千人とされる行方不明者の中のお二人だったのだ。

 今朝のテレビで、不自由な避難場所で9日ぶりに温かい汁わんを抱えて啜る人たちの笑顔を見た。一方で、半壊の自宅でがんばる人たちへの救援物資が届かないという。

でも、神戸淡路大地震で自発的に秩序立てられた避難所運営の経験とノウハウ、あのとき目を見張った若いボランティアの活躍などが、これからは期待できると信じたい。

それにひきかえ、あの東京都知事の不謹慎きわまりない言葉は、相変わらずの“暴言”として黙視することはできない。東京都民があの男を知事として再選するなら、日本の未来は絶望的と言わざるをえない。各政党こぞって、日本列島の復興に献身して欲しい。

 昨夜来の半徹夜で『アラブと私』の原稿残部を書き、締切りに間に合った。ヤレヤレ!! 



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2011/03/23 14:56 2011/03/23 14:56

  チリ大地震の津波警報発令で、愛犬トビーと散歩に行った高洲海浜公園の遊歩道に入れてもらえず、過剰な警備のように感じましたが、安全への行政措置と受けとめました。

東京湾最奥の“海辺の街”浦安で、津波騒ぎの余波を実感した一日でした。

さて、昨日は雛祭りでしたが、毎春の「浦安市合唱祭」も間もなくです。

 第23回の出演合唱団は15団体。3月7日(日)1時半開場・2時開演、浦安市文化会館大ホールで開催されます。

各団体の演奏の前に、全員で『みんなの歌』浦安市合唱連盟20周年記念歌

を唄いますが、公募された歌詞に拙詩が選ばれて、鈴木憲夫先生に作曲が委嘱された歌です。2008年春の合唱祭で初演されました。

同年開催の合唱団「洋(うみ)」、浦安男声合唱団の定期公演でも唄ったので、お聴きになった方々もあるでしょう。(歌詞:別紙)

 今春の合唱祭では、浦安男声合唱団の出番はトリ(最後の出場)ですから、4時半過ぎの出演になります。貴重な日曜日とは存じますが、ご来聴くださいますよう、ご案内させていただきます。

二つの演奏曲目について、簡単にご紹介をします。

<この星に生まれて> 作詞: 瀬戸内寂聴 作曲: 千原英喜

 この歌は合唱組曲『ある真夜中に』の第2曲で、「寂聴流・愛の四つの階梯」の第二・愛する幸せと感謝の詩が唄われます。

 第1曲<愛から悩みが生まれ>-迷いと苦悩、第3曲<寂聴の祈り>-祈り

第4曲<ある真夜中に>-時空を超えた愛、と今回唄う第2曲からなる合唱曲です。

 作曲者の千原英喜は、日本音楽コンクール、笹川賞、イタリア・トリエステ市賞、ドレスデン・ウェーバー作曲賞、グイード・ダレッツオ作曲コンコルソ等に入賞し、日本・東洋の民俗・宗教性と西洋音楽(特にキリスト教の聖歌)を結びつけた合唱曲作品が特徴的とされています。

 コーラスとピアノが緊密に絡み合いながら進行するこの曲を、音楽表現豊かに、愛のコンチェルト・祈りの賛歌として唄いあげるようにと作曲者自身が楽譜の“はじめに”に書いています。

 2011年春の第10回定期演奏会では、この組曲の全4曲を唄いますので、

詩と曲のダイナミックな構成の魅力を、より感じていただけるかと存じます。

指揮者仁階堂孝先生は、平均年齢が60歳近い男らにしか出せない叙情性を、会場いっぱいに届けるように、と指導してこられました。

「(ご来場の)あなたに出逢えてよかった・・・」との想いを籠めて唄います。

 MUZU MUZOS BUS DZIESMA VALTERS  KAMINSKIS

   いつだって 歌がある)             口語訳詩: 松本文郎(英訳文より)

 この歌はラトビア(バルト三国の一つ)語が原詩で、この地方の民謡を採譜して曲作りされたそうです。

 縁がなかった国と言葉ですが、北欧の人たちが待っていた春の光の耀きを、

歌の祭典の情景のなかで、明るく、楽しく詠いあげている詩です。

 仁階堂先生は、ラトビアの隣国エストニアの合唱コンペティション2003の室内合唱部門第一位を受賞したり、レクチャーに招聘されたグァテマラ共和国のビクトリア合唱団の来日公演を成功させたりで、国際的にも活躍されている

気鋭の合唱指揮者です。

歌のタイトル「いつだって歌がある」の“ムジュ、ムジョス”は、“永遠に”の意で、真っ白い靴下の乙女にムズムズしている若者の感じがよく出ています。

 かなり年配の私たちオジサンにうまく唄えるかどうか? ご期待ください。

 敬愛するわれらがマドンナ若山圭以子先生は、浦安きってのピアノ伴奏者なので、無伴奏のこの曲をご一緒できなくて、残念至極です。

 なお、前にもイギリス古歌の文語訳に関わりましたが、今回は口語訳(別紙)を試みました。目を通されて、歌詞の内容を感じとってくだされば幸せです。

 

 ところで、今年は喜寿を迎えます。食道がんで再びのいのちを得た喜びで、

少年時代に好きだった音楽(唄う)絵画(描く)文芸(詩文を書く)を再開し、

いろいろなメッセージを発信しながら、終の棲処の残日を生きています。

 仕事人間の頃は地域の根無し草でしたが、第二の故郷と思えるようになったのは、浦安で出会った方々のお陰です。まさに、「人生は出会いですね。

 中高一貫校で出会った妻のお千代(外国の若者に日本語を教えて20余年)をサポートする私の主夫業も板についてきました。

新春一番の慶事は、バンコクから帰国3年目の孫遥大が中高一貫の志望校に合格したことです。ジジ・ババの私たちのように、伸びのびとした学校生活で、自分らしい生き方で成長をしてくれるのを楽しみにしています。

T新聞社開設の「松本文郎のブログ」の連載『アラブと私』24回目で、エッセイ、画文、コーラス、ポエム、雑記などの連載も充実してきましたので、

ご高覧くだされば幸せに存じます。(検索は、松本文郎の4文字)

 合唱祭当日のお天気が心配な週間予報ですが、春を呼ぶ合唱祭へのご来聴

団員一同、こころからお願い申しあげます。

末筆ながら、ご健勝をお祈りします。

 

 2010年 ひな祭りに               松本文郎 拝  


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2010/03/03 14:43 2010/03/03 14:43

文ちゃんと第9回浦安男声合唱団定期公演


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2009/10/08 09:43 2009/10/08 09:43