「文ちゃんの浦安残日録」 (Ⅰ―21)                  
                                                          2011年6月ⅹ日(ⅹ)

 Ginnyさんの「Let’s enjoy chats and debates in English 」の 2011年前期クラスが始まった。浦安市国際交流協会の外国語学習講座の一つ「中級英会話」のことである。

 前年の前・後期に参加して3期目となる。2,3人の新人を除いて親しい顔ぶれだ。
Ginnyさんはシアトル出身の女性で、20年前に来日。新潟の高校で英語教師を8年間勤め、日本酒・酒盗・納豆などが大好きになる。日本の伝統文化にも、かなり詳しそう。
クラスメイトの三分の二は女性で、日本人だけでなく、ロシア・中国・韓国系の人が混じる。定員は20名だが、受講を始めてからレベルが追いつかず中退する数人がある。
 通常は3月からの前期が、東日本大地震の被災地になったために教室が使えなくなり、5月半ばにスタート。毎期の世話役「CDR(コーディネーター)」2名は籤引きで選ぶ。今期は籤が当たったロシア系美人ユリヤさんと、自分から手を上げた私でコンビを組む。

 外国語学習グループの14クラスのCDRは、月1回、土曜の夜の定例会に出席して全体行事などの打合わせ・連絡をするので、男声合唱団の練習と重なる私はユリヤさんに定例会への出席をお願いすることにした。
 ところが、初回の定例会に出たユリヤさんが、そこで話される早い日本語のスピードにヒアリングが追いつけず、役目が果たせないと訴えて、数年参加のベテラン高山さんに交替してもらうハプニングが起きた。変則的な3頭立てCDRもわるくない。

“Chats and Debates”の話題は、Ginnyさんが準備する資料で示すものと、輪番で担当するショートスピーチのトピックスなどで、質疑応答をきっかけに談論風発が始まる。
 浦安が思いがけない被災地となったので、当面のトピックスは地震・原発・節電だ。常日頃使わないヴォキャブラリーを、Ginnyさんだけでなく、みんながよく知っているのに感心する。各人の節電の具体策を提案し合ったが、私は、朝日新聞社が公募した提案論文で書いた『脱原発とエネルギー政策』から、2,3の私見を述べた。

 エネルギー政策を立てる経済産業省資源エネルギー庁などによる日本全体の発電能力は、原子力を1とすれば、水力1、火力4で、震災前の操業率は、水力ほぼ100%、火力と原子力はそれぞれ50%前後だったから、火力を65%にするだけで電気は余る。原発がすべて停止・廃止されても、問題はないことになる。しかも、全体需要の20%近くは自家発電で、その90%が火力、10%が水力だ。大手企業は電力会社から電力を買うより安い自家発電設備を使っているのである。

 朝日新聞掲載の国際エコノミスト齋藤 進氏の「原発なき電力供給は目前」によれば、昨年の原子力発電実績を新型発電設備のガスタービン・コジェネレーション(熱電併給)に置き換えても、必要な新規投資額は8千億円程度で、その熱効率は、既存火力よりも30~50%も高く、二酸化炭素の排出量も大幅に下がるという。

 それを聞いたGinnyさん。「超暑がりの私にとっては、この夏が生死の問題なのヨ」と太った体をゆすった。日本の大手重工業メーカーはこの種発電設備を短期間で製造・設置する力をもっているから、2,3年ほどガマンしてもらい、私たちは、エアコンが家庭に普及する以前の、「方丈記」の鴨長明流に“家のつくりは、夏をむねとすべし”の暮らしに戻ればよいだけなのだが・・・。 


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2011/06/10 11:27 2011/06/10 11:27


「文ちゃんの浦安残日録」 (Ⅰ―18)               

                                                                                                                       2011
523()

 

早大卒建築家・絵画グループの春季「彩寿会展」・パーティに招かれ、楽しいひとときを過ごした。NTT建築部門OB仲間の一人倉橋潤吉さんの、いつものご好意のお陰だ。秋季の展覧会は、三田にある建築学会・建築会館ギャラリーだが、春は、銀座が会場。

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 多士済々の絵が架けられた会場中央の卓上に、ご馳走やワインの瓶がズラリと並ぶ。「彩寿会展」のパーティーの魅力の一つは、愛知万博のプロデューサー原田鎮郎さんが呼ばれる音楽家の演奏。いままでに、ピアノ・二胡・ギターなどの演奏をほろ酔い気分になってから聴かせてもらったが、今回は、オカリナの富蔵さん。原田さんが、万博で名古屋市に滞在中にみつけられた料理店のオーナーだったと紹介された。
 二回のステージの演奏はこころに沁みる音色がすばらしく、楽器の半ばは自作と聞く。

 東日本大震災犠牲者の冥福を祈る黙祷で始まったパーティに相応しくて、私の好きな 曲でもある[What A Wonderful World] の演奏の末尾に『ふるさと』が挿入されていたので、そのわけを伺うと、3年ばかり前のパーティーでギターを弾かれて間もなく故人となられた方(仙台在住だった)の編曲で、ご冥福を祈って選ばれた由。すばらしい。

 愛知高原の酪農家での住み込み経験をもつ富蔵さんは、自然に学ぶことを身につけて、山歩きや自然写真を始め、写真エッセイ集『Seed』を出版(1991)。オカリナの演奏家活動を1993年に開始して、初のCD『轟』を発売したのが1999年という。

 料理店オーナーからの見事な転進ぶりにいたく共感したので、ご持参のCD『富蔵』を求めて、サインをもらう。これをご縁に、お互いのメッセージを交歓し合いたいと、唄い・描き・詩文を書く活動を列記した手作り名刺を渡した。

 会
場で、日本建築学会男声合唱団の創立20周年記念演奏会で一緒に唄ったテノールの田嶋さんと5年ぶりに再会。来春の25周年記念演奏会に向けて、彩寿会メンバーの田畠さんとも唄っているから参加しませんかと誘ったが、どうやらコーラスは“ご卒業”の様子。各人の残日は、それぞれの気の向くままにが一番よかろうと思う。

 絵画展といえば、われらがNTT建築技術者OBの「みなづき会展」も来週だ。昨年同様、「松本文郎のブログ」への掲載をT新聞社のM女史にお願いしたばかりだ。

 今年の出品作品は、『被災地浦安の春』と題し、3・11の約一ヶ月後“花まつりの日”から3日間、「ふれあいの森公園」に通って描き上げた。

大地震のせいか、東京湾からの稚鮎の遡上が例年より早まった見明川沿いの桜並木は満開で、その背後に見える家並みのなかには、液状化で傾いたままの家も見えている。

芽吹きはじめた大芝生には枯芝が混じり、周囲には、芽吹きの兆しが現れたばかりの裸木もあるが、風薫る五月になれば、芝も木立も新緑に染め上げられ、ライフラインの寸断で不自由な暮らしを余儀なくされた公園周辺住民の憩いの場所になるだろう。

20余年来の日本語教師を辞したお千代は、「ふれあいの森公園を育む会」のメンバー

になったばかり。開園して数年の「花いっぱいクラブ」のベテラン女性から教えてもらいながら、苗の育成・雑草取り・花植えの土仕事にいそいそと出向いている。

 未曾有の大震災をたらした自然はいま、季節の花々と風に光る新緑で、傷つき疲れた私たちのこころを癒してくれている。

 自然の一部である人間は、もっと謙虚に生きなければと想う。



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2011/05/26 12:06 2011/05/26 12:06


「文ちゃんの浦安残日録」 (Ⅰ―8)                  

                                                         
2011年4月2日(土)

 

 東日本大震災の痛ましい報道がつづく中で、上野動物園のパンダ公開が報じられた。

このジャイアントパンダのペアは、中国四川省から三十時間かけて移動し二月二十一日深夜に上野に着き、三月下旬に公開される予定だったが、東日本大地震が起こって延期されていたのだ。

四川省大地震を体験していたオス・リーリー(力力)とメス・シンシン(真真)も、ビックリしたことだろう。中国名は比力(ビーリー)と仙女(シィエンニュ)だった

五歳の二頭は、東京都内が震度5強で揺れたとき、リーリーの方は落ち着かない様子でパンダ舎を歩き回ったが、現在はそろって元気だという。

 三年前の四川省大地震のころに死んだリンリン以来の“上野のパンダ”を見ようと、開園前から二千数百人の行列ができたので予定より早く開場。来園者たちは、ペアの

愛らしさに歓声をあげながら、写真を撮った。

 被災者の入園は十日まで無料。都内の長女宅に避難している福島市の老女は、「余震がひどくて眠れずに東京に避難したが、パンダを見て、ふさいでいた気持が和みました」。

 リンリンの後継を求めてきたパンダファンの熱意に、石原都知事は、「毎年95万ドル(約八千万円)もの保護協力金を中国に払ってまでしなくちゃならんことなのかネー」と嘯いていた。オリンピック東京再誘致の外国行脚の大名旅行を揶揄された氏の言である。

 十日の東京都知事選挙で、大地震発生の“国難”に身命を賭して4選出馬を決意した結果はどう出るか。T新聞社開設「松本文郎のブログ」の編集担当森下女史がオーナー

のカウンタースナックで、常連のⅠさんと都知事選候補者の品定めをしたが、石原知事だけは願い下げだよと言うと、会社経営者で知事とは昵懇の彼は、「石原の人間性は好きではないが、彼のほかに都知事が務まる候補者がいますか?」と切り返えされた。そう言われて返答に窮したが、なんとも情けない政治実力者不在ではないか。東京都の選挙民も困惑していることだろう。

 ともあれ、小宮輝之園長は、「被災した方々が、パンダを見て少しでも癒されるのなら」とインタビューで語った。

 中国が主張する日本軍による虐殺事件の内容を頑なに否定し、中国嫌いを公言してきた石原知事が4選されたとき、再編目前の政界にどんな影響力を持とうとしているのか、福島第一原発の事故対応と同様、予断を許さない。

 被災者を癒すといえば、避難所の学校体育館で、中学生のブラバンやNHK全国音楽コンクールに被災で出れなかったコーラス部員らの演奏を聴いた人たちが涙し、元気が出たと話すシーンをテレビで見た。

 折から、恒例の上野公園の夜桜見物の自粛や、東北地方のお祭り開催への賛否両論が喧しい。被災者自身が花見やお祭りに参加して元気を取り戻すのは大いに結構だが、日本中が一つになって大震災の苦境に立ち向うには、被災地以外での自粛や不謹慎にならない配意が大切だ。

 国内外のミュージシャン・アーティストによる遠隔の地の義捐金集めのイベントが、被災者への癒しになるのはうれしい。自分たちのファンだけでなく、人間社会の連帯の尊さに目を啓いた彼らの新しい活動展開を期待したい。




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2011/04/11 15:38 2011/04/11 15:38


「文ちゃんの浦安残日録」 (Ⅰ―6)                  
 
                                         2011年3月3ⅹ日(ⅹ)

 

 五時に目覚めていつもの自己流ストレッチ。十八年前の食道がん手術後の入院生活で

始めたヨーガの3基本ポーズに、いろんなポーズを加えて二十分ほどに編成したものだ。体がほぐれて血行がよくなったところで、朝の散歩に出る。

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 雲ひとつない快晴だが、風はまだ冷たい。四百八十戸の鉄筋コンクリート造・テラスハウス住宅地には、欅・桜などの樹木三万余本(管理組合資産台帳記載)が立ち、住棟の間の共有地に芝生と潅木が植え込まれている。構内道路や駐車場の一部に液状化現象による隆起陥没が生じたほか無事なのは、植物たちが張っている根っこのお陰だろう。


 我が家に近い大島桜は五分咲きで、花の蜜を吸うヒヨドリが枝にゆれている。二階屋の倍以上も高い欅が天にさしのべる枝に、新芽が膨らみはじめている。住宅地外周道路の反対側の戸建木造住宅地を歩き、家が傾いたK君宅の前を過ぎる。この辺りと見明川を挟んだ舞浜三丁目に、傾いた家屋が少なくないと聞く。上下水道の復旧もまだらしい。

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家から歩いて三分の「ふれあいの森公園」のビオトープ(動植物の生息のために造成された小規模な空間。多くに流れ・池あり)に行くと、池の周辺に立つ枝垂れ柳の浅緑の枝が風になびいている。

 古代赤米の切株が残る小さな田の浅い水底で、ニホンアカガエルのお玉杓子の群れが、まだ眠っているのか身動き一つしない。この蛙は、千葉県のレッドデータブックにある重要保護動物の1つで、公園の運営管理を任されている「ふれあいの森公園を育む会」のボランティアのみなさんが大事に保護観察している。

 この田圃で、近隣幼稚園・小学校の子供たちが父兄と一緒に、田植・稲刈りをして、赤米のお握りを食べるのを楽しむのは、毎年恒例のイベントになった。ボランティアと子供たちで昨夏に作った五体の案山子は、二枚の田圃の畦に立ちっぱなしで居る。

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 ビオトープ脇のグリーンハウス内の正面壁に、公園オープンの際に寄贈した私の作品『ビオトープの絵と詩』の大きな額が飾られている。地震翌日の夕方、落下してないかと見に行くと、無事に架かっていてホッとする。

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 その折りしも、公園横のバス道路沿いの見明川対岸の空で、夕照の光のページェントが始り、被災した舞浜三丁目の家並みを空から包んだ。見る間に移ろいゆく彩りに染められた雲の三三、五五の編隊は、敦煌の洞窟の飛天さながらに、さまざまな楽器を奏で、舞い踊る天女の群れと化した。

それと同じ情景を、食道がんから再生して訪れたレインボーブリッジの空に見て描いた絵と詩『お台場の飛天』は、十年前の第二回「文ちゃんの画文展」で好評だった。

 大震災の被災者を励まし支えようと、日本で活動してきた世界のアーティストたちが音楽・絵画・詩文のメッセージを届けてくれている。 

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 数万年前の人類が洞窟に描いた動物・魚の狩りの絵、暗闇の洞窟の外で咆哮する猛獣への恐怖と地震・雷・山火事・大風の猛威に対する祈祷の歌、超越的存在に捧げた言葉・文字などの全ては、平穏な暮らを願う人間の祈りのメッセージの起源だった。

 自然災害で私たちが支援した国々の子供たちの絵や若者らの歌声が、被災地の人々の明るい笑顔を誘っているのが嬉しい。唄い、描き、詩文を書く私の日々のメッセージが、明日への希望と祈りに満ちたものとなるように努めたい。



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2011/03/31 14:55 2011/03/31 14:55

「文ちゃんの浦安残日録」 (Ⅰ―5)     

                                        
 201133ⅹ日(ⅹ)

 

 安全神話を錦の御旗に原発建設を推進した東京電力、カダフィ軍への軍事介入の正当性を真っ先に主張したサルコジ大統領とカダフィ大佐との過去のように、“一寸先は闇”の昨今である。

そのサルコジさん訪日の真意をめぐるマスコミのとりざたが賑やかである。なにしろ、電力総需要の80%を原発に依存するフランスは、原子力産業の王国でもある。

スリーマイルやチェルノブイリの事故処理で蓄積した専門技術を生かし事故沈静化に一役を担って、自国や欧米の安全性論議に主導的立場を確立する狙いや、世界の原子力産業のトップランナーだったフランスと日本との安全基準・世界標準化の主導権争いに決着をつける意図などが云々されているが、その論議は信頼できる専門家に任せよう。

世界の目が経済・技術大国日本の未曾有の原発事故の危機管理と処理体制に注がれて

いる今、官僚的メンツにこだわることなく、フランスやアメリカが国際協力で派遣する放射能汚染除去の専門部隊と一体で、沈静化作業に迅速に対処することだ。

 一方で、地震・台風など自然災害に“七転八起”のこの国では、鴨長明の「方丈記」(1212年)に大火・大風・地震・飢饉の悲惨さが記され、人生の無常が説かれている。

 現代文明を築いた西洋近代では、「自然」を、人間が征服し、利用するものと考えたが、彼らが未開とみたアジア地域では、“すべては自然の摂理”と、柔軟に対処しながら立ち直ってきた。民衆は、すべもなく傍観したわけではなく、治山治水は、治安と共に政治統治者の要件とみなしてきたのである。

 東日本大地震の被害状況には、原発立地の選定、地震・津波の規模想定で自然力の巨大さを甘くみた点もありそうだ。八百数十年前の津波の痕跡を調べてシミュレーション画像を作り、津波常襲地域の人びとに警告していた専門学者がいたが、住民や行政機関で耳をかす人が少なかったのだろうか。

現代文明は、科学技術の進歩に支えられ、私たちの生活はその恩恵に浴しているが、

「天災」と「人災」が複合した今回の地震被災の復興は、“想定外”の言い逃れを脱して、深刻な事態への謙虚な反省から始めたいものだ。

 日本人は古からこうした災難に遭うたびに、“神も仏もあるものか”と嘆き、鴨長明の無常観に身をゆだねてきたが、釈迦が遺したとされる「色即是空」の「無常」は、万物が生滅流転して常住ではないのを意味し、“神も仏もない”量子力学的な宇宙観を言い表していたのではないか。湯川秀樹博士の中間子理論のヒントが般若心経にあったとされるのは尤もである。

 「般若心経」を唐から将来した空海が果たして、「色即是空」に量子力学的な宇宙観をみていたかどうか分からないが、彼の“即身成仏”とは、死んで浄土をめざす無常観とは異なるものではないか。真言密教の大家、西行もまた即身成仏を究極の境地として、かねての願い通り、如月の花の下で死んだ。

 生身の人間にとって不条理としか思えない天災・人災(戦争も)で死に直面すると、絶望的な喪失感でウツに陥りがちだが、被災者のメンタルケアを重視するボランティア医師・看護士の活躍があるのは心強い。笑顔と復興への意欲が戻りつつある被災地報道に、見ている私たちの方が力をもらっている。 



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2011/03/31 14:47 2011/03/31 14:47


「文ちゃんの浦安残日録」 (Ⅰ- 4)                  
 

                                       2011
32X(X) 

 

見明川防災本部から朗報があり、下水道復旧工事が急ピッチで進められているなかに、曜日指定で洗濯機・風呂の使用が試験的に可能との由。久しぶりで自宅の風呂に入ろうるとした矢先のさらなる連絡で、この地区の排水規制が全面解除となった。ブラボー!

夜分は零度前後となる避難所で不自由な暮らしを強いられている被災者の皆さんに、「なんだか申し訳ないみたい」と言うお千代と並んで湯船にひたった。

事故発生から十五日。福島第一原発の危機的状況打開のメドは、まだついていない。

当初からの東京電力の鈍い対応にイラついた政府の指揮ぶりもモタついて、打つ手が後手後手にまわっている感は否めない。でもそれを論っているときではなく、試行錯誤を重ねながら体制を整え、必死で取り組む外ないだろう。 

各号機の深刻な状況を伝えるテレビ報道にいらただしさを感じているのは、私だけではなかろう。東電側が把握していながら知らせず、高濃度放射能の水に足を晒した作業員が被曝するなど、危機管理体制の脆弱さを云々されてもしかたない。

こんな有様に、原発事故対応の基本“停める・冷やす・閉じ込める”での“冷やす”機能の電源が失われたと分かった時点で、いち早く海水注入を決断すべきではなかったか、と素人ながら言いたくもある。

“安全神話”を振りかざして原発設置を推進した電力会社・監督官庁と、地震・津波の想定規模を提案した学者・技術者らは、この想定外(?)の天災の数多の犠牲者の死をムダにしないよう、原発の今後を抜本的に見直す責務に、」真摯に取り組んでほしい。

 国難と称するほど未曾有の危機的状況のなかで、情報通信の重要性を再確認したい。

 原発・被災者支援の「官邸主導体制」と「セカンドオピニオン集団」を整える官邸の慌しい人事発表にも、情報処理・インフラ整備や危機管理の専門家がふくまれているが、大災害の憑き物、流言蜚語に振り回されないように、正確で分かりやすい情報を迅速に伝える体制づくりも遅れていたようだ。

原発を建設した関連メーカー・土木建築業者などの復旧現場作業を統括する東電の力不足も感じられる。メンツを捨て、会社組織の旧弊を破って危機を打開してほしい。

NTTグループは、情報通信インフラの復旧と維持に総力を挙げて取り組んでいることだろし、“電電建築”技術者の後輩たちがいるNTTファシリティーズも、情報通信施設

建物や通信鉄塔の被害調査や修復に大童と聞く。

 また、NTTBHNBasic Human Needs)組織は、人類にとって衣食住と同等に不可欠なICTによる国際援助活動をしてきたが、役割遂行の機会が国内に生じたのだ。

 ニュージーランド震災の瓦礫の下からの救助を求めるメールが日本に届いて、一命が助かった人の記憶も新しい。大きな災害時の情報通信の機能確保がいかに大切であるかは、NTTで仕事した私たちの肝に銘じている。

 千年に一回というマグニチュード9.0の体験で、情報通信インフラや建築都市の耐震設計上、かってない大幅な見直しが必要となるだろう。

 この大震災からの復興参加は、日本の電信電話サービスを独占的に担った電電公社の建築部門に身をおき、社会に役立つ志を抱きながら、全国情報通信施設の計画・設計・工事監理と建築技術開発に奮闘した私たちの後輩仲間の腕の見せどころである。




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傾いた公衆電話ボックス。奥にみえるのが新浦安駅




2011/03/30 14:24 2011/03/30 14:24


「文ちゃんの浦安残日録」 (Ⅰ- 3)  
                
 

                                                                                                                 2011
32X(X)

 

居住区域には排水規制の不自由があるが、日常生活は、徐々に平常に向かっている。

喜寿残日に、音楽(唄い)/絵画(描き)/文芸(詩文を書く)を楽しんでいる私の予定表は、さまざまな変更を余儀なくされた。

<音楽>では、練習会場の公民館が避難場所に、第10回「浦安男声合唱団定期演奏会」(四月半ば)を開催する市文化会館が防災本部の拠点になったりで、演奏会どころか、これから毎週の練習さえ目途が立たない。今年中の開催は難しいと思われる。昨年暮れの第11回「IKSPIARI第九」がきっかけの「合唱団 LICHIT」の結団式と初回の練習会場も閉鎖され、五月まではムリのようだ。

鑑賞を楽しみにしていたコンサートでは、敬愛する山陽地方出身のソプラノ歌手・

横山恵子さんがプリマの『アイーダ』と、「浦男」常任指揮者の仁階堂 孝先生指揮の

「アンサンブルSZIA 15周年記念コンサート」の中止連絡があった。残念だろうが、被災地の惨状と不自由な避難生活に想いを馳せた苦渋の決断であろう。

 ボランティア仲間と月に一回出前する、高洲地区の特別養護老人ホーム・愛光園への三月十七日の訪問コンサートも、停電と施設の一部損壊で仮移住の破目となって中止。最高百歳の高齢入居者の不安な気持ちとヘルパーさんたちのご苦労を想い、みなさんが好きな懐かしい歌を一緒に唄い、リクエスト曲を聴いてくださる日が、一日も早く来るようにと祈る。

<絵画>では、「日比谷彩友会展」の作品講評と春秋の絵画研究会の講師をお願いしている白日会副会長の深澤孝哉先生に、「白日会展」(新国立美術館・三月十八日)をご案内いただく予定だった。余震を危ぶみ中止に踏み切ったが、案の定、当日は休館となる。

代替に二十日の案内を受けたが、連載『アラブと私』の原稿締切日で参加できなかった。

 また、NHK「新日曜美術館」で中川一政展(日本橋高島屋・最終日三月二十一日)見て出掛けたくなったが、編集長に送信した原稿の訂正が生じて断念する。

 うれしい出会いもあった。銀座教会ギャラリーで一見した個展がすばらしくて記帳してから五年ぶりに、「野島朱美透明水彩展」の案内状が届き、池袋の小さなギャラリーへ最終日の午後、出向いた。国内外の風景が多い水彩作品の数々を久しぶりに拝見すると、四季折々の色彩のみならず空気までも見事に捉えた透明感溢れる画面に感銘した。

 自己紹介のよすがに持参した『文ちゃんの旅と暮らしの絵・ポストカード集』を見てもらい親しくお話しすると、自然の感じ方や描くときの心得えなどが驚くほど似ていて意気投合した。うれしい出会いを互いに歓び合った、大震災後初の至福の時間だった。

<文芸>では、地震勃発で執筆が遅れた今回の『アラブと私』は締切りに間に合った。

 前々回は、約五十年前のイラク軍事革命と共和国成立の執筆中チュニジア政変が勃発。前回、それに触発されて中東・北アフリカ諸国に波及しはじめた反体制勢力の市民民主革命をめざす巨きなうねりを書き、今回は、さらに道草的な記述をつづけている最中の東北関東大地震だった。40年前の体験に基づく創作ノンフィクションだが、歴史的ともいえる事件や災害をリアルタイムで記述しておきたい衝動は、抑えきれないものだ。

 ふと思い立ち、この『文ちゃんの浦安残日録』を書き始めた。高校時代に文芸部や

新聞部を創設したときの“初心”が、喜寿老人に蘇ってきたのかもしれない。



 

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泥に沈んで傾いてしまった浦安市富岡交番






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