夜中に死んだ一、二の死体が発見されるのもたいていそんな頃である。はじめのうちは、激しい苦痛で呻いたりのたうちまわることもあったので、臨終が近づぐと倉庫から運ひだすこともあったが、一カ月が過ぎた頃になると夜のうちに声もたてずに息絶えていることが多かった。捕らえられてくる前からの持病や、国軍によるソウル奪回直後の混乱のさなかで、罪過以上の重い嫌疑を受けて経験した厳しい取り調べの後遺症と、長期にわたる栄養失調と、そこにとじこめられたための精神的な消耗がおおよその死因であった。従って死んだ者たちは、ほとんど前の日の夜の、うずくまったままの姿勢や、壁にもたれかかったまま死んでいたので、隣の人さえ気付かず、粥を配っていた治安隊員に肩を叩かれたときになってぱたっと倒れたりした。

しかし死体が運びだされても誰一人として食べている手を止めようとはしなかったし、泣き声などは、それよりかなり後になって家族が現れたときにようやく聞かれたりした。そのように食事が終わって、いっぱいの粥がもたらした温もりと飽満感が鎮まると、今度は夜明けとともにかまくびをもたげたあのつらい意識が、彼らの疲れきった魂を再びさいなみ始めるのであった。実際、彼らをもっとも苦しめる死の恐怖は、何人かの者を除けば、まったくはかばかしいかぎりであった。しかし、北へ退却しながら無慈悲なまでの処刑をやらかした味方の行為に対する記憶があまりにも生々しかったので、南の報復がそれよりひどくはならぬだろうとは誰も思っていなかった。
そのような予想からもたらされる暗くて重苦しい沈黙のなかで一時間ほどが過ぎると、次にやってくるのが訊問だった。十時ごろになると所属の分からぬ二、三人の取り調べ官が倉庫の傍の空いている建物を臨時の取り調べ室にして、一人ずつ呼び出しては訊問をはじめた。たまには新しい手の入れた情報をもとに訊きだすこともあったが、ほとんどは同じことを何度も繰り返すだけだった。
その時、呼び出しを告げる治安隊員たちの声は、囚われ者たちにとっては、まさに地獄の使者の声そのものであった。蒼白な顔でがたがた震えながら呼び出されていった人々のほとんどは、やがてしぼった洗濯物のようによれよれの、血まみれになって帰ってきたり、ときには仮死状態になって背負われて戻ってくることがあったからだ。
1989年11月15日4面











