-金聖柱、ジンジチェン、キムイルセン、金日成として生きた一人の人間の生涯

 プロローグ

 金日成、彼の抗日武装闘争の神話は真実なのか

 今日、韓半島の南北対決の哲学的根っこは‘抗日’だ。抗日をしたのか、しなかったのか。ここで守りに追われれば、一方は抗日勢力が建てた国家という正統性と民族的権威を先取りすることになり、反対側は親日民族反逆者たちが建てた国家という烙印と汚物をぶっかけられる。抗日をやっても外交的、文化的、教育的にしたのか、それとも熱く鮮明に武装闘争の方法でやったか。これは後者が絶対的に道徳的に権威を勝ち取る手段として活用される。

 今日‘抗日’という問題をめぐる理念戦争で、李承晩と朴正煕の大韓民国は金日成の朝鮮民主主義人民共和国に完敗を喫した。1980年代以降、ほとんどの大韓民国の学者、知識人、ジャーナリスト、そして一般人たちは満州の大地であらゆる苦難を味わいながら熾烈に展開したという金日成の抗日武装闘争の鮮明性と熾烈さ、雄大な気性にうなされたかのように尻尾を巻いてしまったからだ。また、彼らのレーニンとスターリン式の宣伝扇動に騙されて単独政権を樹立したのは李承晩と南韓であると信じてしまったからだ。

 そこから、金日成=抗日武装独立闘争の主人公でかつ民族の英雄、李承晩=米国という外勢を引きいれて親日派らと野合して分断をもたらした売国奴、朴正煕=日帝の走狗で抗日武装独立運動家を打倒した親日派という偶像が作られた。

 今日、主体思想を受け入れて韓国社会を親北、あるいは従北の巣窟にするのに決定的な役割をなしてきた主思派の左翼運動圏、左翼言論人、そして‘国史’という名で抗日武装独立運動家たちに月桂樹をかぶせた国史学者たちのためその偶像はますます‘歴史的事実(historical fact)であるかのように化石化されている。

 満州での抗日武装独立運動は誰もが否定し難い神話になり禁断の領域となった。この部分を誤って触るかその精神を毀損すれば容赦なく‘親日’の緋文字が張られる。そのため、この主題はほぼ宗教の領域のように神聖不可侵の領域だった。

 金日成を修飾する用語を分解してみると‘満州’‘抗日’‘武装独立運動’など三つの塊に意味が文節される。私は歴史的記録を通じてこれら3つの塊の実体を追跡してみることにした。無駄な先入観や価値観を捨てて、その意味を追跡しながら驚くべき事実を発見することができた。

 これは満州という空間でほぼ同時期に韓半島の南と北の運命を分けた指導者グループが形成され、共産主義者と民族主義者(あるいは自由民主主義者)たちの間でイデオロギーの対立による分断の遺伝因子がすでに1920-1930年代から芽生え始め、イデオロギーの陣営対立に外勢が介入して複雑な様相を帯び始めたということだ。

 したがって、われわれの複雑な近現代史は南と北の観点、つまり一国史的観点ではなく世界史的、北東アジア関係史的観点から眺めてこそ、真の絵が描かれるようになる。

 北韓の指導者になった金日成という存在を追跡する過程でぶつかる壁は、金日成をいったい何人かという点だ。金日成と名前の漢字表記は4つも混在(金日成・金一成・金一星・金日星)するのだけでなく、本名である金聖柱も漢字表記が3つ(金聖柱・金成柱・金誠柱)もある。

 複数の学者たちの努力の末、旧韓末の大韓帝国滅亡期から日帝のとき満州一帯で活動した金日成という名前を使用した抗日独立運動家や共産パルチザン活動家を見出したものをまとめると計11人である。この中から北韓の指導者になった金日成として推論できる人物群は三人程度に圧縮される。

 学者たちの見解があまりにも違うため金日成が一人だったのか、それとも三人(第1の金日成、第2の金日成、金聖柱)だったのかを明快に結論を出せる史料は現在までに発見されないため混乱を来している。いずれにせよ、金日成が一人だったのか、三人だったのかはさほど重要でない。なぜなら、今日の北韓は金日成という名前で活動したすべての人物の行跡を北韓の指導者、金日成一人の業績にしたからだ。

 われわれは、さほど重要でもない問題で数十年も議論をしてもったいない時間と労力を浪費した。そのようにつまらない真偽論争をしてきた間、金日成の本質に対する研究を無防備に放置したことで、北側らの歴史捏造を助けたことになった。

 筆者は、北韓の指導者になった金亨稷の息子・金日成が一人なのか、複数人なのかという点については現在としては結論を下せないと思う。その結論を出せる決定的な資料は、中国共産党とソ連共産党の秘密書庫に保管されているのみで世の中に公開されていないためだ。

 したがって、この本では北韓が‘敬愛する首領様’に仰ぐ金日成の足取りを追跡する方式で構成した。その総和としての金日成の生涯は次のように整理される。

 彼は子供の頃、親に添って中国に行った以来、平壌の彰徳学校での2年間、独立軍が建てた樺成義塾での6ヶ月を除いてはすべての教育を中国の学校で受けた。父のお陰で子供の頃、中国国籍も取得した。そのため子供の頃から自然に中華思想の洗礼を受けた。中国の学校で学び覚えた中国語は満州一帯で馬賊や共産党活動をする上で有用な武器になったはずだ。

添付画像
 民族主義的性向の活動をした父の金亨稷が共産主義者たちのテロで死んで、母の康盤石(康盤錫)が幼い三人の息子を養うため満州の公安隊長(*警察署長)に再婚しながら思春期の少年、金日成の人生が大きく狂い始める。中国人の養父の支援で吉林の毓文中学に入学したが、共産主義サークル活動に巻き込まれて中退した後、彼は李鍾洛一派に加担して軍資金調達の名目で強制徴税、テロと殺人に耽り、独立運動家の梁世奉将軍が派遣した高東雷小隊を皆殺しして逃走した。この渦中で生き残る道は共産抗日部隊に加わることが最善と判断し、その人生が転換することになる。(つづく)

2016/10/12 19:30 2016/10/12 19:30
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