≪Colonne≫
愚痴(1)――腹の立つこと――
le 15 mai 2012. par Endoh.
-----------------------------------------------------------------------------------
最近、腹の立つことが多い。まず小さい話では、野良猫への餌やり。私は餌やりを否定しない。自分が餌を与えることもある。猫や犬は元々ペットや使役で飼われていた。人間の都合で捨てたり、飼育管理をろくにせず野放しにしたりする結果、野良猫が発生しているのであり、餌やりは一種の救済活動だからだ。 しかし、避妊・去勢、里親探しまで考えて行動する者もいる一方で、ただ餌をやることに満足している「餌やりマニア」も少なくない。彼らには責任感が全くない。猫たちと些細なトラブルで突然豹変し石を投げつけたりもする。野良猫たちを不憫に思っての餌やりと思っていたが、極めて不快だ。
こういう意識の違いは、保護団体の間にもある。東日本大震災で、ペットの保護に入った団体の映像を見ると、実際に活動してきた団体は保護時の手際の良さと動物の扱いが自然である。だが、偽善的団体の映像では、動物に触れたことも無さそうなスタッフが見受けられる。また、地域差もある。田代島は猫を神様と崇める習慣があったそうで、それが猫を大切にする風土を作り出し、最近では観光にも一役買っているようだ。逆に、野良化した状態から目を背けてきた地域もある。沖縄ではハブ退治のためマングースが持ち込まれたが、逆に飼育している鶏や天然記念物のヤンバルクイナが襲われるという問題が発生している。観光地における猿の餌付けも同様だ。安易な発想が問題を引き起こすのである。
東日本大震災の時のペットや家畜に対する政府の対応も呆れたものだった。特に福島原発付近では、安全を理由に避難者がペットの餌やりに自宅に戻ることすら禁止した。少なくともペットは飼い主と一緒に避難させるべきであったろう。置き去りにされた結果、「餓死」するペットや家畜が相次いだ。飼い主や飼育者たちの思いを考えると心が痛む。飼い主は強い罪悪感に慄き、一生消えない傷となる場合もある。こういう「心」を無視した政治には、腹立たしいというより怒りすら覚える。

指定弁護士は、「1審判決には看過しがたい事実誤認がある」と記者会見で述べたが、その「事実誤認」が何であるかは説明しない。彼らの主張は意図的な虚偽記載があったという前提に立ち、共謀の有無だけを論争にしようとしているように思われる。だが、少しでも実務経験のある者なら通常の取引であり、通常の記帳方法と見る。それが誤りだと主張し続ける根拠は何なのであろうか。控訴決定の一報を聞いたとき、「やはり…」とも思ったが、時間とともに腹が立ってきた。法律家の常識の無さは今に始まったことではないが、自分たちが何をしているのかまったく理解していないのではないだろうか。意味のない裁判をいつまで続けようというのであろうか。
何よりも、この控訴は政治の混乱を継続する。ところが、指定弁護士は「政治的な影響は全く考えなかった」と言う。しかし、控訴それ自体が政治的ではないのか。一般には「訂正」で済む事例である。検察は、それを犯罪にしようと目論んだが証拠が揃わず「不起訴」にした。検察審査会により起訴されたが、裁判所は「無罪」とした。これ以上、何を求めようというのだろう。少なくとも正義のためではないだろう。だから腹が立つのである。
そもそも指定弁護士は検察審査会の嘱託を受け、弁護士会が推薦して任務に就く。いわば、指定弁護士は検察審査会の代理人である。その代理人が独自の判断で控訴を選択できるのだろうか。しかも極めて政治色の強い事案である。新たな証拠もなく控訴をする、どう考えても裁判制度を悪用した政治謀略としか思われない。私自身の体験からも、検事・判事・弁護士という人々の常識や現場認識の貧しさには呆れてきたが、指定弁護士の頭の中も条文以外空っぽなのだろうか。虚偽記載によって小沢はどんな利益を得られたというのであろうか。犯罪というのは被害者が存在して初めて成立するものではないのか。このような軽微な事件にしがみつく指定弁護士とは、如何なる精神の持主なのだろう。
刑事事件において立証義務は検察にある。しかし検察は立証できなかった。それを検察審査会が「起訴すべし」とした。彼らはどんな証拠に基づいて判断したのだろう。捜査資料のうち、調書は担当検事から捏造が証言されている。検察に都合の悪い(小沢に有利な)捜査資料――特に贈賄を否定する捜査資料――は隠匿したことが明らかになっている。これらは検察の犯罪そのものではないのか。元秘書の裁判では状況証拠まで推認によって構築され有罪とされた。こうなると、証拠や法律など全く無関係に冤罪を成立させることが可能になる。これは、先の終戦まで存続した治安維持法以上に怖いやり方である。

それにしても、今回、橋本市長の下で作られた条例は常軌を逸している。従わない教員のことばかり問題とされるが、実は、波風を立てたくない教師は子供たちに斉唱を強要する。これは教師に対する圧力以上に大きな問題である。自分の意思を十分に伝えることの出来ない子供たちを追い詰めることが教育なのだろうか。橋下は、子供たちの人生に責任をもつ気はないのだろう。教員が橋下に丸を付けられた者ばかりになったら、倫理や正義などごみ屑になる。「要領よく生きろ」と言っているだけだからだ。そこには、「教育」など影も形もない。
野良猫への餌やりや動物虐待は、心情的には理解できないこともない。しかし、動物に罪は無い。彼らは必死に生きているだけだからである。解決方法も模索せず問題を放り出したり、誤った信念にしがみつく政治家によって教育が歪められたりする状況に、当分、腹の虫は静まりそうにない。



